黒トリガー争奪戦⑤
歌川の緊急脱出と、太刀川の負傷――。
その情報は少なからず三輪たちを動揺させ、嵐山隊を奮起させることとなった。三輪が憎々しげに迅の名を吐き捨てる一方で、出水はさほど焦りを見せることもなく小さく肩をすくめる。
「やれやれ、どっちが足止めされてんのかわかんなくなってきたな」
塀に身を隠しながら呟いて、彼は先程ベイルアウトの光が放たれた方角へちらりと視線を投げた。その思考の端にあるのは、この闇夜のどこかで戦闘に参加しているであろう幼馴染のことである。
派閥争いだの組織のパワーバランスだのということには、出水だってほとんど興味はない。どちらかと言えば城戸派に属するものの、出水個人は三輪のようなネイバーへの強烈な憎しみや執着もなく、隊長の太刀川が城戸派だからとか、遠征に参加する方が面白そうとか、その程度の理由だ。
だから、がどの派閥につこうがどうだって良いし、そこに文句を言うつもりはない。彼女の家の事情だって、出水はよく知っている。父を失い、家計を支えなければならない彼女が、給料次第ではどんな任務でも請け負っていること。そのせいで、ごく稀に痛い目を見ていることも。
城戸派だろうが忍田派だろうが玉狛派だろうが、「給料を払ってくれさえすればどちらでも」と、彼女は言うだろう。その考えは否定しないし、彼女ほどあけすけな隊員は多くなくとも、似たような境遇の人間が他にもいないわけではない。
ただ、と出水は思う。ただ。がどのようにして迅に買収されたのかは知らないが、自分がいない間にやられたというのが、なんだか気に食わなかった。唐揚げとパフェで買収されたということは二人で食事に行ったということで、それだって釈然としないというのに、嬉々として自分に立ちふさがるのだから面白くない。しかも二手に分かれてみれば出水たちに対峙したのは嵐山隊だけだ。てっきりこちらに顔を出すものと思っていたのに、風間に遊んでもらうことを選んだらしい。
このやろう。終わったら覚えてろよ。
へらへらと笑いながら現れたの姿を思い出しては、どうにも腹が立ってくる。とりあえず気が済むまで個人戦に付き合わせてやるのは確定だ、それから明日にでも何かおごらせてやる。こっちは遠征で疲れた体に鞭を打って任務に励んでいるのだし、考えなしな幼馴染に頭を悩まされてもいるのだ、それぐらいの要求は通るだろう。
「こりゃマジで早く片付けないとやばいぞ、三輪」
「わかっている!」
今が好機とばかりにやる気を見せる嵐山たちに、出水たちも眼差しを鋭くする。
嵐山隊は出水にとって下位のチームだが、そうは言ってもA級だ。一部隊ほとんど揃っているあちらと、急造チームのこちらでは、個人の力では勝ってもチームプレイでひっくり返される可能性がある。油断はしない、けれど負ける気も一切なかった。さっさと終わらせて、劣勢を強いられているらしい隊長の加勢に行かなくては。
そしてついでとばかりに、の手足のひとつやふたつ殺いでやろう。自分ではなく風間を選んだことを、とびきり後悔させてやるのだ。
結果として、出水が太刀川の加勢に行くことは叶わなかったし、の手足を殺いだのは出水ではなく、風間と太刀川の二人だった。
迅の元に駆けつけたが目にしたものは、あの太刀川慶が見たこともないほど追い込まれている姿だった。風間も片足を落とされて、かなり消耗しているらしい。歌川とスナイパーを含め、五人がかりで劣勢も劣勢である。彼らを相手取った迅の方はさほど傷を負った様子もなく、が別れた時とほどんど同じ姿だった。
「あらら、ちょっと遅かったですかね?」
「いやいや、そんなことないぞ。この人たち相手じゃ最後まで気は抜けないからな、風間さんは任せた」
迅はそう言って笑うと近くの歌川に斬りかかっていく。歌川は開けたところへ逃れていき、二人の姿は荒れたガレージから遠ざかる。
「やったぁ! 了解!」
「……いいだろう。相手してやる」
風間もこくりと頷きを返し、はいよいよ瞳を輝かせた。ようやく巡ってきたチャンス、今度こそ誰にも邪魔されることなく戦える。喜色満面で風間に飛び込んだだったが、……彼女の孤月を受け止めたのは風間のスコーピオンではなく、太刀川の弧月だった。
「え……な、なんで?」
「風間さんばっかりずるいぞ。俺だって何度もお前に構ってやったのに」
軽々との孤月を弾き返す太刀川は、冗談なのか本気なのか分からない顔で笑う。しかし彼の瞳に浮かぶ獰猛な戦意だけは、間違いなく本気の色だ。
そうこうするうち歌川が落とされたようで、少し離れた場所から緊急脱出の光が上がった。これなら太刀川の気もあちらに流れるだろうと思いきや、彼の視線は依然としてに注がれたままで。
は目に見えて困惑した。
「えーっと、太刀川さんにはよく相手してもらってますしー……、今日は風間さんがいいかなーって思うんですけど……」
風間は片足を、太刀川は片腕を失って体にも裂傷を多く受けているが、それでも攻撃手トップランカーだ。この二人に挟まれてはさすがに分が悪い。十本やって三本取れたら良いほうだろう。片足のない風間でちょうど互角か、運が良ければかろうじて上回れるかもと言ったところなのに、重傷とはいえ太刀川も絡んでくるとなれば万全の風間以上の厄介さである。
どうにか考え直してくれないだろうか。というか、ここへきてなぜ迅ではなくに興味を抱いたのかさっぱり読めない。混乱するをよそに、太刀川は楽しげに笑うばかりだった。
「今日のはいやに謙虚だな。遠慮しなくていいんだぞ」
「いや、遠慮なんかしてないんですけど……」
冷や汗の浮かんだ苦笑とともに、じり、と後退するだったが、風間もに照準を合わせたまま、迅を抑えに行く様子はない。二人がかりでを落とす気らしい。
「やだあ、モテモテじゃないですか、困っちゃうなあ……」
「いいじゃないか。貴重なモテ期だぞ。大事にしろよ」
「こんなモテ期、全然嬉しくないんですけどっ!」
打ち込まれた太刀川の孤月を二本の短刀で受けながら必死に言い返すが、片腕といえど太刀川の剣の鋭さが衰えることはなかった。軽量型のにとって、太刀川のように上背も体重もある相手と真っ向から切り結ぶのはなるべく避けたい状況だ。一定の距離を保って不意を突き、死角から急所を狙っていくのが勝ち筋である。
どうにか弾き返して距離を取ったものの、太刀川に意識を割けば風間が、風間に意識を割けば太刀川が、の隙をついて殺しに来るだろうことは目に見えている。それぞれ手足を失ってさえ、二人の圧力は重く鋭かった。
「足を止めるな。二対一の戦い方も教えたはずだぞ」
「こんな豪華な顔ぶれに相手していただくのは初めてなもので! 緊張してるんです!」
「歌川と菊地原では力不足だったか。伝えておこう」
容赦なく襲ってくるスコーピオンを紙一重で躱してから、は焦った顔で慌てて否定する。
「あっやめて風間さん! 全然そんなことない、すっごい楽しかったですよ!」
「なんだ、先輩に遊んでもらうより後輩と遊ぶほうが楽しいのか?」
風間を避けたと思えばすぐさま太刀川が迫り、からかうような笑みと共に孤月が振るわれる。あちらを立てればこちらが立たず、あちらを避ければこちらが迫る。どうにか攻撃の隙を見出そうとするものの、二人は上手に互いの隙をカバーしていてなかなか攻めに転じられない。
「いやいや滅相もないですよ! ていうか風間さんも太刀川さんもなんなんですか、わたしで遊ばないで!」
「遊んでない、遊んでない」
「うそだあ!」
半ば悲鳴のように叫んだが、その後両手を落とされ、サブトリガーのスコーピオンを使ってさえ追い込まれて胸を貫かれたのは、離れた場所で時枝と米屋が落ちるのと同じ頃だった。
「はー……こりゃ勝てないや…………」
ずるりと風間のスコーピオンが引き抜かれ、胸の中央から煙のようにトリオンが流出していく。同時に太刀川に切り落とされた左足からもトリオンが漏れて、がくんと地面に崩れるの視界を覆った。両腕は、斬り落とされた肘からスコーピオンのブレードを生やしてある。風間と太刀川に一撃ずつ浴びせたものの、致命傷とまではいかなかった。
悔しい。最初の太刀川に焦らなければ、もうちょっと食らい付けたかもしれないのに。
ほぞを噛むに、太刀川と風間は勝者の余裕か先輩の余裕か、戦闘時よりもいくらか穏やかな顔を見せた。
「いやあ、俺たち相手に結構粘ったな!」
「今回の反省点は近々きっちり見てやる」
「あ、ありがとうございます……」
なんだか喜んでいいのかわからない。そんな渋い笑顔を浮かべるの頬に額に、ピシリと亀裂が入る。それはあっという間に全身へ広がった。
「迅さん、ごめんなさぁい」
ぽつりと漏れた声を最後に、トリオン体が弾けて光の筋が本部へ向かって流れていく。
彼女の今夜の任務は、ここで終結した。