戻ってきた二人の日常

 午後九時、からから亭。
 エリート権限で席をおさえた(実際はただの電話予約である)という迅に連れられて、出水とは少々遅めの夕食を摂っていた。理由はもちろん、昨夜の慰労である。
「ったく……おれがいない間になにしてくれてんですか、迅さん」
 好物のエビフライを前にしながら、出水の表情は不服そのものだった。元よりつり気味の細い目をさらに鋭く細めて、正面に座る迅をジトッと睨み付けている。「事務所通してくんなきゃ困るんですけど」なんて言葉こそ冗談めかしたものの、彼の瞳に浮かぶのは明らかな苛立ちだ。
「いやーごめんごめん。エビフライ追加していいからさ」
 迅はいつもの飄々とした笑みで応え、サービスの温かいほうじ茶を啜る。堪えた様子のないその態度に、出水は諦めたように息を吐いた。
「こいつと一緒にしないで下さいよ。でも追加はお願いします」
「どーいう意味だ出水! あ、エビフライ一個交換して」
 こいつ、と顎で示されたはムッと声を尖らせたものの、怒りよりも食い気が勝ったのか視線は出水のエビフライに夢中のようだ。そっちのソースかかってないやつね、とのリクエストに、みそ汁に口を付けていた出水は目で頷く。
「食い物に釣られてほいほい出てくようなバカじゃないってことだよ。ほら、ここ乗っけるぞ」
「バカじゃないし! だいたい出水が迅さんに喋ったんでしょ?……ありがと、好きなの取っていいよ」
「じゃあこの大きいやつ」
 口喧嘩をしながらも器用に互いのおかずを交換する二人に、迅は思わず笑みを漏らした。相変わらず仲が良いことだ。
 笑い事じゃないと噛みつかれるかと少々構えたものの、出水は迅の反応には気付いていないようで怪訝そうな顔をに向ける。
「つーか喋ったってなにを?」
「わたしがここの唐揚げ好きってこと。遠征の前にラウンジで喋ってたじゃん」
 さっそくエビフライを口に運ぶを、出水はぽかんと見つめた。何か思い出すように目を瞬かせ、――驚きと怒りがないまぜになった顔で迅に振り向く。
「は、はああああ!? 迅さんあれって……」
「うん、まあそういうこと」
 おかげで助かったよ、と朗らかに笑ってみせる迅に、出水は盛大に嘆息した。苦い顔でお新香の白菜を口に放り込むと、苛立ちのままバリバリ噛み砕く。呑み込みきれなかった感情を零すように、出水はぽつりと呟いた。
「おれのせいかよ、くそ……」
「今日だって、わたしがいい仕事したら出水のぶんもよろしくって、迅さんに頼んどいたおかげなんだからね。感謝して食べるように」
「おごってくれるの迅さんだろ」
 機嫌の悪さを隠さずぶっきらぼうに言う出水に、は拗ねたように頬を膨らませる。
「わたしだって頑張ったもん、わたしにも感謝してよ」
「でもやられてんじゃん。米屋たちの後に緊急脱出したのおまえだよな?」
 そう言う出水も最後は佐鳥にしてやられているのだが、緊急脱出して迅から作戦終了の知らせを受けた後、そのまま本部に宿泊したに知る由はなかった。現在部隊を組まず一人で活動しているは個別の作戦室を持たず、他の部隊のように帰投後すぐにチームのオペレーターから情報を得ることができないのだ。昨夜の大雑把な顛末は迅からの連絡と、今朝たまたま会った木虎に聞いた程度である。
「だって風間さんと太刀川さん、いっぺんに来るんだよ? さすがに死んじゃうって」
「うっわあ、そりゃキツいな。まあ弱い方から落とすのは鉄則だからな、しょーがない」
 普段の出水ならこのあたりで「ねえ迅さん」などと水を向けるところだが、彼の視線はと手元の膳を往復するばかりで迅の方など見向きもしなかった。意図的ではない。隣のも似たようなもので、今の二人の意識からはお互い以外のほとんどが抜け落ちてしまっていた。
「あー、今思えば、確かに。あの時はなんで迅さんのほう行かないんだろーって慌てちゃったんだよね。太刀川さんは特に」
「まあ太刀川さん一人だったらそーなったかもな。でも風間さんいたんだろ?」
「いました。やっと風間さんに相手してもらえるぞー! ってときに太刀川さんに邪魔された……」
「日頃の行いが悪いせいだな」
 今日の出水はボーダーとしては丸一日オフ、普通に登校して普通に授業を受け、放課後は遠征の間の補習のため二時間ほど学校に居残り。一方は朝から防衛任務が入っており、その後も本部で細々とした雑用を引き受けたり個人戦をしたり。つまり昨夜の任務から今まで、二人がゆっくり話すチャンスはずっとなかった。
 昨夜だけでも積もる話がある上に、出水は長期遠征から戻ったばかり。普段の二人の親しさを知っていれば、この様子にも頷けるというものだ。食事の手を進めながらも自分たちの会話に没頭していく二人に、迅はやわらかく目を細めた。
「どーこが悪いのよ、近年まれに見る親孝行娘ですよ」
「そりゃ自分の胸に聞いてみろって。おれは最後まで残ったし」
「むかつくな~!……てかしょーじきさ、わたしがいる意味あったかなー……って感じがしなくもないんだよね」
「頑張ったんじゃなかったの?」
「頑張ったよ! 頑張ったけど、風間隊と太刀川さん落としたの全部迅さんだし、しかも一番肝心なとこ見逃しちゃった気がするし……。あーあ、模擬戦だったらログ見返せるのになあ」
「おれもの可哀想なやられっぷり見てみたかったわー」
 自然といつもの呼び方に戻っていることに、出水も呼ばれたも気付いていなかった。
 二人が人前では呼び方を変えるようになったのは小学校の高学年にあがった頃からだ。周囲の詮索やからかいにうんざりした様子のを見かねて、出水から苗字で呼び始めた。初めはいまいち落ち着かない顔をしていたも次第に慣れていき、現在も続いている。
 高校生にもなれば二人が幼馴染ということは随分と知れ渡ったし、無遠慮に詮索するような者もかなり減った。ボーダー内でも二人の仲はよく知られており、そもそもきょうだいや親戚も多いため年頃の男女が名前で呼び合ったところですぐさま騒ぎ立てられることもない。だからこの頃は呼び名に神経を尖らせる必要もあまりないのだが、かといってやめにするきっかけもなく今に至る。
 ほとんど惰性のためボーダー内では特に気が緩みやすく、本人たちも素が飛び出していることに気付いていない、という場面も最近では何度もある。それがかえって二人の仲を意味深に見せていたりもするのだが、当人だけはその事実を知らない。
「可哀想すぎて泣いちゃうかもよ? わたしが」
「おまえがかよ」
 出水は慣れた様子ですかさずツッコミを入れる。絶妙なそのやり取りに迅はたまらず噴き出した。
「ほんと仲良いな、二人とも」
 二人の視線が自分に向いたのに気付いた迅がそう言うと、はバツの悪そうな顔でうつむく。
「えっ、と、すいません、べらべらと……」
「いやいや、楽しく食ってくれるならなによりだよ」
「迅さん心広いなー」
 心が込もっているんだかいないんだかといった調子の出水に、迅はおどけたように「まあね」と笑ってみせた。
「おれとしては昨日のは良いサポートだったよ。ほどよくかき回してくれたっていうか」
「慰めてもらうと、余計に傷付きますよ……」
「ほんとだって。あの後太刀川さんと風間さんに会ったけど、二人も褒めてたよ」
 風間が褒めていた。たったそれだけで、下降気味だったの表情はぱっと明るくなった。そんな彼女を横目に見る出水は、いまいちつまらなそうな顔をする。迅に見られていることに気付くと、すぐにその色を消してしまった。
「それじゃあ、いい仕事したので甘いものもお願いしたいなーとか思っちゃってるんですけど……いいですか?」
 伺うようにちらりと迅を見上げるは、出水の表情の揺れに気付いていないようだ。後輩のかわいらしいおねだりに、迅はにこやかに頷いた。
「もちろん、好きなの頼んでいいぞ」
「やった、迅さん太っ腹! デラックスパフェひとつお願いしまーす!」
 デラックスパフェとは通常のパフェより一回り大きいサイズのグラスに三種のアイスと季節のフルーツ、プリン、ゼリーにムースにコーンフレークとたっぷりの生クリームが詰め込まれた、その名の通りデラックスかつフォトジェニックなパフェである。お品書きにも大ボリュームのため二人以上で食べることを推奨するような文言があるくらいで、女子会にうってつけの人気スイーツだ。
「え、おまえあれ食う気? おれ手伝わねーぞ」
「いーもん全部食べるもん! そっちこそやっぱ甘いの食いたくなったーって言い出さないでよね」
「わかったわかったデラックスパフェな、仲良く食べなさいよ」
「食わないですって」
「あげないですって」
 口を揃えて否定する二人だったが、迅がパフェとともに頼んでおいた予備のスプーンは当然役に立った。
 が食べ始めてまもなくすると出水は「ちょっと一口」とスプーンを構えたし、その時は渋々許可したも三分の二ほど食べ進めたあたりで「もう一口二口どう?」とパフェグラスを出水の方へ滑らせた。最後は「デラックス恐るべしだよ……」「しばらく生クリーム食いたくねえ」などと言いつつ、二人仲良く完食したのだった。



Up:2018.07.23