黒トリガー争奪戦④
「申し訳ないが、太刀川さんたちにはきっちり負けて帰ってもらう」
風刃の光の帯が燃え立つようにめらめらと揺らめいて、あたりに不気味な陰影を投じる。まるで風刃自体が意思を持ち戦闘に猛っているようにも見えるのは、それを携える迅の雰囲気が変わったからだろう。宣言の通り、もう迅には一切の遊びがなかった。
『おまたせ。おまえも暴れていいよ』
迅からの通信を受けて、はにっと白い歯を見せた。風刃の余波を食らわないよう、グラスホッパーで空高く飛び上がる。同時に迅は風刃の切っ先を地面へと走らせた。二本の斬撃が数メートル先で鋭く弾け、太刀川たちに襲いかかる。太刀川と風間は躱しきったが、ほとんど初見の歌川はまだ対応が難しいのか、回避が間に合わずに半身に大きな裂傷を負ってしまった。もうもうとトリオンの霧が漏れ出すその体は、――しかし瞬く間に空気に溶けるように見えなくなる。すぐそばにいた風間の体も、同様に闇夜に溶けて消えてしまった。
「! カメレオンか……!」
カメレオンを用いての戦闘は、言わずと知れた風間隊の十八番だ。目を見張る迅だったが、その意識はすぐさま風間たちから引き剥がされる。一瞬の隙を突くようにして飛び込んできた太刀川を、迅はギリギリのところで受けきった。
「誰が負けて帰るって?」
「できれば全員がいいな」
答える迅の言葉からは、はったりやでまかせは感じられない。とことんまでやる気なのだ、今日の迅は。
久々に本気の戦闘を仕掛けてきた好敵手に、太刀川の心は喜びで打ち震えた。
「ちくしょー、どこ行った風間さん……」
電信柱の先端で器用に立つは、孤月を握りしめたまま悔しげに唇を歪ませた。冷たい夜風が不機嫌そうな彼女の横顔を打ち、戦闘用にカスタマイズしたショートボブを無遠慮に乱していく。目元にかかった髪を払うようにぶんぶんと大きく頭を振って、は深々と溜息を吐き出した。
ようやく迅の許可が降りたと喜び勇んだだったが、肝心の風間は上空へ退避した一瞬のうちに姿を消してしまっていた。ついでに同隊の歌川も一緒に姿が見えなくなっているあたり、単純に見失ったのではなくカメレオンを起動させたのだろう。あれを使われてはどんなに目を凝らしたところで見つかるわけがない。
「レーダー使ってもざっくりしか分かんないし……下手に近付いてグサッとやられちゃたまんないしなあ。あーあ……」
風間隊のステルス戦闘には、ランク戦に参加していた頃に随分と辛酸を嘗めさせられたものだ。彼らの術中にハマってしまえばそこから逃れるのは容易ではない。も当時のチームメイトも何度もしてやられ、その度に反省会を開いて模擬戦を繰り返して。……数ヶ月前のことが、今はどうにも懐かしく感じた。
感傷を振り払うように顔をあげ、は甲高い剣戟の響きへと首を巡らせる。その音が物語るとおり、迅と太刀川はかなり派手にやり合っているようだ。空っぽの住宅地の合間を飛ぶような速さで駆け抜けていく姿がからも見渡せる。太刀川の二本の孤月は遠目に見ても目まぐるしい速さで繰り出され、さらに隙間を埋めるかのように狙撃が闇夜を貫くが、迅の予知はすべてを読み切って躱していた。
「まったくもー、迅さんだけ思いっきり遊んじゃってー……」
手持ち無沙汰に孤月をくるりと回して、はぶつぶつと不平を鳴らす。こーなったら出水のとこに、うーん、でもなあ。小さく独り言を漏らす彼女の意識は、すっかり思案の中に沈んでいるらしい。
その時、の背後のとうめいな夜空が、ほんのわずか揺らめいた。
「……ッ!」
「なーんちゃって」
不満一面だったの表情が、一変して得意げな微笑みに変わる。驚きに瞠目したのは、奇襲を仕掛けた歌川の方だった。彼のスコーピオンの切っ先は、の背中の数センチ手前で止まっている。六角形に展開したシールド、それも二枚重ねたフルガード。出水ほどではないとはいえ、トリオン能力の高い彼女のシールドは強固であり、孤月でも破るのは難しい。
「うってぃーくん、見ーつけた!」
電信柱から飛び上がり、は嬉々として孤月を握りしめる。死角になる背にはシールドを残したまま、いまだ姿を消している風間への警戒も忘れていない。
逆手に構えた二連短刀型の孤月を身体の内側から外側へと真横に切り裂くように振るって、は歌川のスコーピオンを易易と破壊した。彼女の改造孤月は本来の半分程度の刃渡りしかないものの、その攻撃力に変化はない。強度と切れ味はそのままに、軽量化と取り回しやすさ、そして両手に構え一度に二撃叩き込むことで、身軽なでも打撃力を上げることに成功している。この改造孤月は、の絶対的な相棒だった。
「オレが来るって、わかってたんですか」
「まさか。でもこーやってぼんやりしてたら、誰か構いに来てくれるかなーとは思ってたよ。風間さんは迅さんのほうに付いてるんでしょ? 加勢しなくていいの?」
「……どうでしょうね」
躊躇うような一瞬の間は、ほとんど肯定しているようなものだった。歌川の人柄の良さが滲み出たその一瞬をは見逃さなかったが、まるで素知らぬ顔でむすっと口を尖らせてみせる。
「きくっちーは教えてくれたのに、うってぃーくんのいじわる!」
「なんとでも言ってください」
再びスコーピオンを取り出した歌川だったが、……ふと頷くと一気にから距離を取る。そして後を追う間もなく、彼の姿はまた夜闇に紛れて消えてしまった。
「あっこら!」
思わず投げつけた一振りの孤月は空を切り、あたりには夜の静寂が戻ってくる。は小さく舌打ちしながら、左手の孤月のワイヤーを手繰って投擲したもう一振りを回収した。
の改造孤月の特徴は刃渡りの短さともう一つ、このワイヤーにある。柄の頭同士をワイヤーで繋げており、トリオン消費で長さと強度を変えられるのだ。伸縮のスピードも消費するトリオン量で調節でき、トリオンの消費が多いほど伸縮のスピードもあがっていく。形状としてはスパイダーに似通っているが、あちらと違って色の変更はできない。
この機能のおかげで先ほどのように投擲しても回収が容易だし、伸縮機能を使えば弾丸のように射出することもできる。強度を上げれば敵の拘束にも使えるし、イーグレットまでなら耐えられる。他にも身を吊り下げたり足場にしたりと、その用途は無限大だ。入隊してしばらくはスコーピオン使いだったが、A級に上がってから個人でも格段に力を伸ばしたのは、この改造孤月があってこそだった。
「迅さんのほう、なんか動きがあったのかな?」
先ほど迅たちを見送った方へ首を伸ばし、はぽつりと呟いた。歌川が引いたのは理由は考えるまでもない、風間に呼ばれたからだろう。おそらく迅を仕留める手筈が整ったのだ。
「暴れろって言われたし、わたしも加勢に言ったほうが良いよね」
うんうん、と楽しげに頷くと、も迅のもとへと踏み出した。
「すみません風間さん、仕留め損ねました」
風間と合流した歌川は、悔しげに顔を歪ませた。今のうちに先輩を、と進言したのは他でもない歌川である。それだけにこの結果は苦々しく、風間の顔が見られなかった。しかし報告を受ける風間は責めるでも慰めるでもなく、手短に言葉を返す。
「構わん。それより今は迅だ、ここで確実に殺し切る。はその後処理すればいい」
「はい」
責められないことがかえって息苦しさを強めたものの、自責に沈んでいる時間はなかった。歌川は気持ちを切り替えると、風間に続いて静かに地面へ降り立つ。
家屋のガレージへ逃げ込んだ迅に迫る太刀川は、獲物を追い詰めた肉食獣のような獰猛な笑みを浮かべていた。
「もう逃げ場はないぞ、黒トリガー」
単純な剣による近接戦闘なら太刀川に軍配があがる。勝ちは見えた。
その場にいるほとんどが、そう、確信した。