黒トリガー争奪戦③
――も風間さんに構ってほしいだろ。
迅のその言葉に少なからず期待を寄せていたは、わずかに眉を寄せて表情に不満を滲ませた。雑念を振り払うように短く息を吐いて、また一歩、迅に続いて後退する。
合流して早々にへと下った指示は、距離を取ったままおれと後退しろ、というなんとも消極的なものだった。今回の指揮官は迅なので従う他ないものの、なんだか話が違う、という思いは拭えない。これなら菊地原たちの足止めを任されたままのほうがずっと楽しめた気がする。
ちらりと隣の迅を伺ってみても、新たな指示が下る様子はまるでなかった。敵方も迅の出方を待っているようで、守りに徹してばかりで攻め込む素振りはなかなか見せない。焦れた太刀川が挑発めいた言葉を浴びせても、迅の飄々とした笑みが揺らぐことはなかった。
やっぱ公平の方に行けばよかったかな。選択を後悔し始めたに追い打ちをかけたのは、彼女がボーダー入隊当初から世話になっている師匠、風間の一言だった。
「こいつの狙いは、俺たちをトリオン切れで撤退させることだ」
「えっ」
思わず迅を振り返れば、彼は「あらら」と苦笑をこぼしている。どうやら図星らしい。と目が合うと、迅は誤魔化すようににこりと笑った。
「なるほど、あくまで俺たちを帰らせる気か。『撃破』より『撤退』させたほうが本部との摩擦が小さくて済む」
「戦闘中に後始末の心配とは、大した余裕だな」
「えーっ、じゃあわたしの師弟対決は!? 迅さん騙したんですか!?」
端からやり合うつもりなんてなかったというなら、さっきの通信はなんだったのか。その場の誰よりも声を尖らせて迅に詰め寄っただったが、――真冬の空気よりも冷たい怒りを感じて、はっと動きを止めた。そしておそるおそる、冷気の源へと首を回す。
「師弟対決? そんなことのために迅に付いたのか」
切れ長の目をさらに細め、冷淡な目でを見据えていたのは、予想通り風間その人だった。突き刺ささるような鋭い視線に、は思わず口ごもる。「いや、でも、だってー……」と弱々しく漏らしたきり言葉は続かず、しまいにはすっかり項垂れてしまった。
「まあまあ、を責めないでやってよ。おれはともかく、こいつは本部長の命令で仕事してるだけなんだから。立場は風間さんと変わらないよ」
「そんな単純な話じゃないだろう。……、目先の欲で動くなと、前にも言ったはずだが」
「うう……はい、ごめんなさい……」
厳しい風間の言葉に、は素直に謝罪を口にした。たしかに軽々な判断ではあった。遠征部隊とやり合うかも、という迅の言葉に「面白そう」と食いつくのは軽率以外のなにものでもない。しかし唐揚げとパフェがこんな大事に発展するとは、数日前のは想像もしていなかったのだ。
しゅんと肩を落とすの姿は、まるで飼い主に叱られる犬や猫を彷彿とさせた。同じ孤月使いとして太刀川や生駒にも教えを請うたことのあるだが、入隊時から長く世話になっている風間は特別だ。はっきり師匠と呼べる唯一の人物と言っていい。明るく調子の良い振る舞いが多い彼女も、風間にだけはさっぱり頭が上がらないのだ。
弟子のそんな姿には風間も思うところあるのか、彼は冷たい瞳をかすかに和らげた。
「……城戸司令には、俺から話をしてやる。だから今すぐこちらに付け」
「え、……えっ!?」
思ってもみない風間の提案に、は素っ頓狂な声をあげた。驚いたのはもちろんだけではなく、その場の全員が目を丸くして風間を見つめている。
風間は周囲の動揺など意に介さず、淡々と言葉を続けた。
「お前はただの小遣い稼ぎのつもりかもしれないが、これはそう軽い問題じゃない。お前がここで迅についたという事実が響く場面も、後々出てくるだろう。嵐山隊には広報としての人脈や信頼があるが、お前はどうだ? 仲間も後ろ盾もないお前を、組織が潰すのは容易いぞ」
「…………」
「それに。俺はともかく、お前は出水の敵になれるのか?」
「出水、の?」
「城戸司令は、目的を果たすまで決して引かないだろう。もし今夜で蹴りが付かなければ、長くこの抗争は続く。ただの模擬戦や訓練とは訳が違うんだ。……派閥争いなんかに興味を持つ必要はないが、己の身の振りくらいはよく考えろ」
表情を凍りつかせたの横顔を見て、迅は内心で苦笑した。ここで出水の名を出すとは、風間もなかなか容赦がない。
戦闘員の大半が市内に住む少年少女たちで構成されるこのボーダーにおいて、「幼馴染」という関係はそう珍しくない。あの太刀川と三輪隊のオペレーターである月見、草壁隊の緑川と加古隊の黒江など、上げていけばきりがないだろう。しかし出水との二人はその中でも非常に親しく、特にが出水をなにかと頼りに思っていることは誰が見ても分かるほどだった。出水の方も、になにかあれば、いつも真っ先に気付いて手を貸してやっている。昔からそうやって歩いてきたのだろうと、誰もが想像できる自然さで。
これはちょっと、困ったことになったかもしれない。に寝返られたらさすがの迅も少々厳しくなってくる。いまだ無傷のがあちらに寝返るとなれば、撤退を選ばせるのは途端に難しくなるだろう。
まあ、その時は真っ先に彼女を落とせばいい。そして全員始末する。元より撃破の可能性の方が高いだろうとは思っていたのだ。こんな形でプランの変更を余儀なくされるのは予想外だが、致し方ない。
人知れず風刃を構え直した迅だったが、――は意外にも、その首をゆっくりと横に振った。
「ありがとうございます、風間さん。……でも、そうやってふらふらするのが、一番首を絞めそうじゃないですか? 一度引き受けたことは、最後までやらないと。後の信用に響きますから」
「出水はいいのか。さっきも怒っていたようだが」
「文句は言われるだろうけど、出水なら、分かってくれるはずです。……多分だけど」
にこりと笑ってみせたを、しばしじっと見つめて、――風間は深く溜息を吐いた。そこに混じるのはやはりという諦めと、押し切れなかった悔しさだ。
風間としても、これで引き抜けるかは五分五分だと思っていた。の性格は、出水ほどではないがそれなりに知っている。糸の切れた凧のように見せて、その実、筋の通らないことは嫌う性分なのだ。それでも出水の名を出せば揺らいでくれるかもと思ったのだが。少し彼女を甘く見すぎていたらしい。
「そうか、……残念だ」
「はは、振られちゃったねえ風間さん」
軽口を叩く迅をひと睨みして、風間は気を取り直すように短く息をする。そんな風間の背に、後ろで成り行きを見守っていた菊地原はしびれを切らしたように口を開いた。
「風間さん、やっぱりこの人は無視して玉狛に直行しましょうよ」
「……たしかに、このまま戦っても埒が明かないな」
考える素振りを見せる風間に、迅はそっと息を呑む。『、構えて』だけに届くよう飛んできた声に、も同じく応じて孤月を握りしめた。
まだ何も終わっていない。風間の申し出を跳ね除けた以上、彼らはの敵で、は彼らの敵になる。
「玉狛に向かおう」
「…………」
風間の決断に、迅は瞳に冷然な光を乗せた。の寝返りこそなかったものの、どうやら衝突は避けられないらしい。予想はしていたから驚きはないが、――交渉の材料なら考えてある。むしろ撃破を選ぶ方が、交渉はやりやすいかもしれない。
「やれやれ……。やっぱこうなるか」
不本意そうな口振りに反して、迅の動きには迷いがなかった。それまでただのブレードでしかなかった風刃が、ぶわりと本来の姿をそこに現す。陽炎のように揺らめく光の束を纏うそれに、すぐさま反応できたのは太刀川と風間の二人だけだった。
民家の塀に風刃の切っ先が突き立てられ、斬撃が迸る。その閃光は対応が間に合った二人の後方、ただ立ち尽くしていた菊地原の首を一瞬にして刈り取った。
「え……」
首から先が宙を舞い、菊地原の視界がぐるりと反転する。理解の追い付かない彼の耳に、機械的なベイルアウトのアナウンスが届いて――それが、最後だった。碧色の光の筋が、真冬の空に大きな弧を描き出す。
呆然とその光を目で追いながら、は思わず自分の首に手を当てていた。もしも風間の提案に乗っていたら、真っ先に食らっていたのは間違いなく自分だったはずだ。風刃の能力は知っていたけれど、改めて目の当たりにするとその威力にただ圧倒されてしまう。あれを初見で避けきる自信は、正直なところにもない。
そんな鮮やかな一撃を前にして、太刀川だけは唇の端に愉しげな笑みを浮かべた。
「出たな、『風刃』」
「仕方ない。プランBだな」
片眉を上げて太刀川たちを見据える迅の頬を、風刃の光がゆらゆらと照らしていた。