黒トリガー争奪戦②

 太刀川と迅が切り結び、太刀川の隙を埋めるように風間がすかさず迫っていく。さらに二人のスナイパーが次々と迅を襲うが、それでも迅にかすり傷ひとつ与えられない。歌川と菊地原は、出水たちが抑えるはずだったの足止めに回っていた。
 スコープ越しに迅の姿を捉えたまま、奈良坂は一向に仕事を始めようとしないもう一人の狙撃手に対して冷ややかに声を尖らせる。
「当真さん、あんたも少しは撃ったらどうだ?」
「ああ~? 外れる弾なんか撃てるかよ。スナイパーとしてのプライドが許さねー」
「だったら歌川と菊地原の援護に回ってくれ」
の方だろ? あいつはうざい避け方するからやだね」
 うざい避け方。言い得て妙だと奈良坂は思ったが、当然同意は口にしなかった。
 ちらりと彼女の方へ視線を遣れば、歌川と菊地原の攻撃をひらりひらりと踊るように躱している。柔らかい体を活かして曲芸のような動きで身を翻し、通常よりも小振りに改造した孤月を両手に操るさまは、敵対するものを弄んでいるようにしか見えない。もちろんそれがの戦闘スタイルなのだと分かってはいるけれど、小さなスコープ越しに見るそれは、ひときわ目障りに映るのだ。
「そんなわけで、おれは三輪たちの方に行くぜ」
 迅とに早々に見切りをつけた当真は、そう言ってさっさと持ち場を離れてしまった。歯噛みする奈良坂だったが、この作戦の指揮官である太刀川の許可が降りてしまえば何も言えなくなってしまう。
 それでも不服を隠せない様子の奈良坂に、太刀川は諭すよう言った。
「でも、おまえらまでいなくなられたら困るぞ」
「……はい」
をひっぱってきたってことは囮にするためだろう。あいつにチョロチョロされると結構うざいし。釣られてやるなよ? お前らは迅に集中してくれ」
「わかりました」
 応える奈良坂の瞳には、すでに静謐な色が戻っていた。当真がどう動こうとも、奈良坂の仕事は変わらない。冷静なスナイパーの目は次のポイントをすばやく探り当て、行動を開始した。

「あんたはただの囮だそーですよ。だから後回しだってさ」
「へえ、教えてくれちゃうなんて余裕じゃん、きくっちー」
「後に回されてろって言ってんですよ」
「いやいや、囮なら囮として仕事しないと。ボーナス出てるしね」
 にこにこと笑みを崩さないに、菊地原はちっと舌打ちする。風間に師事しているくせに、は戦い方も性格も、まるで風間に似ていなかった。安い挑発に乗ってくれないところは同じだが、淡々といなす風間に比べると、へらへら躱すのほうが何倍も腹が立つ。
「ほんっと、うざいですね」
「そんなに褒められたら照れちゃう、なあ!」
 言葉が終わるか終わらないかのところで、は勢いよく上半身を前へ倒し、反動で片足を後ろへ蹴り上げた。その踵には鋭いトゲのようにスコーピオンが生やされており、背後へ迫っていた歌川の顎先を掠める。追い打ちをかけるの孤月は肩を切り裂き、歌川はすぐさま後退して距離を取った。
 まただ。菊地原はもう一度舌打ちしたい気持ちになって、代わりに短く息を吐く。この人のペースに乗せられちゃだめだ。頭ではわかっているのに、うまくいかない。羽根や花びらのように指の間をすり抜けて、一片だって掴ませない。吹けば飛ぶような軽さに見えて、鋭い一撃も持ち合わせている。やりにくいのだ、どうにも。
 視界の端を汚すトリオンの霧を散らすように頭を振って、歌川はスコーピオンを構え直した。冷静に機を伺いながらも、その瞳にはわずかに曇りがある。菊地原を満たす苛立ちと根を同じくするそれを吐き出すように、歌川は静かに口を開いた。敵対するものに声をかけるのは、彼にしては珍しいことだった。
「どうしてネイバーを庇うんですか、先輩」
 問いかける歌川の目を見れば、それが揺さぶりや場繋ぎのためでなく、純粋な疑問であることは明らかだ。ちらりと菊地原を見れば、彼もまたの答えを待っているらしい。苛立ちをあらわにした瞳が、にグサグサと突き刺さる。
 そもそも歌川がそういう策を弄するタイプでないことは、彼の入隊時からの付き合いであるもよく知っていた。菊地原の憎まれ口が、言葉通りの意味ばかりではないということも。
 だから彼女も彼女なりに、正直な言葉で応じることにした。
「べつに、ネイバーを庇いたいわけじゃないよ。ていうか、そのへんはどーでもいいんだよね、わたし」
 どうでもいい。投げやりに聞こえるかもしれないけれど、それが事実で真実だった。
 がこの場にいる理由といえば、唐揚げの恩と本部長命令だ。もしも迅の買収よりも先に城戸司令から任務を言い渡されていれば、今が孤月を向けていたのは迅に対してだっただろう。は嵐山隊と違って本部長派と言うわけでもないし、もちろん城戸派とも言い難い。強いて言えば支払いの良い方につく。ボーダーの政治や大義よりも、明日の生活のほうがずっと大事だ。
「でも、先輩の家は……」
「ああ……お父さんね。うん、あの時から行方不明だよ」
 言い淀む歌川に対して、当のはあっさりしたものだった。「あの時」とはもちろん、四年前の大きな侵攻のことだ。
「迅さんがかくまってる子がお父さんを連れてったやつだったら、百億積まれたって味方なんかしない。ぜーったいに無理。でもそーじゃないし、てか、そんなのわかんないでしょ? わかったら、苦労してないでしょ」
 が所属していた川崎隊のA級昇格は風間隊よりワンシーズン早く、遠征の参加経験も何度かある。彼女の部隊が解散していなければ、今回の遠征にも同行していたかもしれない。
 地球上に二百足らずの国があるのと同じように、ネイバーフッドにも無数の国がある。ボーダーが部隊を派遣したことのある国は、そのうちのほんのわずかだ。そして四年前の侵攻を引き起こした国の特定は、いまだできていない。
「それは、そうですけど」
「だからさ、ネイバーだからってひっくるめて恨んだりしない。そんなのキリがないし、疲れちゃうじゃん」
 三輪が聞けばさぞ激昂することだろう。その怒りが分からないわけではないけれど、には薄布一枚隔てたような、他人事の感情だった。には三輪のように、ネイバーへの憎しみに生きることはできない。目の前で肉親を殺された三輪とは、状況だって違う。
 しかし、仮に目の前で父を殺されていたとしても、ひよりが三輪と同じように憎しみを糧に生きることはなかっただろう。喪失の痛みを喉元に突きつけながら生きるなんて、死に続けるのと変わらない。そんな生き方をは選べないし、選ぶわけにはいかなかった。
家の家訓、教えてあげよっか。『笑う門には福来る』だよ。楽しく生きなきゃね。久々に風間さんに遊んでもらえそうなんだもん、逃す手はないってわけ」
「守銭奴やめて戦闘バカに路線変更したんですか? キャラ被り激しいですよ」
「やだなあ、弾バカ槍バカどもと一緒にしないでくださーい! ただでさえうちはバカのB組って言われかけてんだから。主に槍バカのせいだけど」
「ぴったりじゃん」
「ひっどーい! ちょっとなんか言ってやってよ、うってぃーくん」
「米屋先輩のことは、その、お疲れ様です」
「ほらきくっちー、この心遣いを見習いたまえ」
「やですよ」
 並外れた反射神経と敏捷性、そして三半規管強化というひどく地味なサイドエフェクトがもたらす、曲芸まがいのの動きは、変則的で捉え所がなく、どこまでも敵を翻弄する。回避や防戦、足止めは彼女の最も得意とする仕事だ。迅を孤立させるため、の足止め及び始末を命じられた歌川たちだったが、この分断は迅の予知の範囲だった。
 二対一とは言え、防戦を得意とする相手に、実力も経験も半歩ほど劣る二人では、足止めはできても始末まではなかなか手が届かない。ステルス戦闘の許可が下りれば戦況はガラリと変わるだろうが、あれはトリオンを多く消費するため、先を考えて温存することになっていた。幾度となく切り結んでは決定打を与えられないまま、歌川と菊地原のトリオンばかりがじりじりと空気に溶けていく。
 少し離れた場所で太刀川と風間、スナイパー二人を相手取る迅も、うまく引きつけ抑えているようだ。ちらりとが視線を配ったことに気付いたのか、ちょうどそのタイミングで迅から通信が入る。
、そっちはどんなかんじ?』
『うってぃーくんときくっちーですか?』
 内部でそちらに応じながら、はまたひらりと菊地原の攻撃を躱した。舌打ちに笑みを返し、スコーピオンを生やした膝で蹴りを入れる。
『とりあえず何発かは入ったって感じですかねー。言われたとおり足止めしかしてないですけど、落としたほうが良いですか?』
『いやいや、十分だよ、ありがとう。それよりちょっと合流したいんだけどいけそう? も風間さんに構ってほしいだろ』
 蹴りを避けた菊地原の隙間から歌川の攻撃、それも躱してしゃがみ込むとローキックで足元を崩す。その隙に後退して間合いを取った。
『わたしは嬉しいですけど、いいんですか? プラン変更?』
『まあそんなとこ』
『わかりました、じゃあそっち行きますね』
 通信が切れると、は地を蹴って手近な民家の屋根に飛び乗った。
「囮のくせに逃げるの?」
 すぐさま追ってくる菊地原たちに、は両眉をひょいと持ち上げてとぼけた顔をする。
「さあ、どうだろ?」
 しれっと返すの数歩後ろに、菊地原と歌川が降り立つ、――はずだった。
「っ!?」
 二人の体は着地した瞬間、その衝撃をすべて跳ね返される。まるでゴムボールのように後方へ吹っ飛び、一気にから遠ざかっていった。の仕込んだ、グラスホッパーによって。
「ばいばーい」
 ひらりと手を振って、もまたグラスホッパーを強く踏み込んだ。ただの一歩が、彗星になる。その体は二人を飛ばしたのとは逆方向、迅の元へと文字通り飛んでいった。



Up:2018.07.23