黒トリガー争奪戦①

 不敵な笑みとともに遠征部隊を迎え撃つ迅の姿を、は少し離れた家屋の屋根から見下ろしていた。黒いライダースーツをベースにした隊服に、夜間用の深い色合いのバッグワームを身につける彼女の姿は夜闇に紛れて、遠征部隊の面々にはまだ気付かれていないらしい。
 彼女同様にバッグワームを纏う彼らの中に見慣れた薄い色素の頭を見つけると、は自然と表情を和らげた。久方振りの幼馴染の姿に、今すぐ飛び出して行きたくなる気持ちをぐっと抑え込む。それでも緩む頬は抑えられず、唇はやさしい弧を描いていた。見送ったのと同じ、いつも通りの姿に安堵する。
 唐揚げで買収されたと言ったら、遠征帰りの彼はいったいどんな顔をするだろうか。呆れ顔で「またかよ」とツッコミを入れてくるか、それよりも驚きが先行するか。どちらにせよ責任の一端は彼にもあるのだし、今回ばかりは責めないでほしいものだ。
 彼の反応を想像して小さく笑みが零れそうになり、は慌ててそれを引っ込めた。いけない、いけない。遊びに来ているわけでも、冷やかしに来ているわけでもないのだ。ちゃんと、集中しなくては。
 先週からから亭で引き受けた迅からの頼み事は、たった二、三日のうちに本部長直々による命令に格上げされた。きちんと給料の発生する正式な任務である。もちろん唐揚げの恩を忘れるではないし、もとより適当な仕事をするつもりもさらさらない。とはいえ、任務か否かで心構えが変わるのは当然のことだ。ボーダーの収入で一家を支えているにとって、給料の有無は非常に重要なポイントである。
 はそっと瞼を閉じて、静かに深呼吸をひとつする。次に目を開いたの瞳は、A級アタッカーとしての鋭さをしっかりと宿していた。
「――『おれ一人だったら』の話だけど」
 迅のその言葉で遠征部隊に動揺が走るのと、が待機している家屋の向かいに赤い影が飛来するのは、ほとんど同時のことだった。遠征部隊の意識が、一気にそちらへ引っ張られる。
「嵐山隊、現着した。忍田本部長の命により、玉狛支部に加勢する!」
 隊長である嵐山の張りのある声が、真冬の冷たい空気に凛と響き渡る。周囲の緊張と警戒が引き上げられたのを肌に感じ、はぶるりと体を震わせた。もちろんその震えは恐怖からくるものではない。ボーダーの仕事は生活のためだと言ってはばからないだが、彼女もたいがい戦闘好きなのだった。
 広報部隊らしい堂に入った登場に内心舌を巻きつつ、自分がそんな柄でないことはよく分かっている。はバッグワームをオフにすると、普段通りの人当たりのいい笑みを浮かべたまま、迅たちの元へと降り立った。
もいま~す、よ!」
 飛び込んできた場違いな声に、張り詰めていた空気がざわりと乱れる。真っ先に反応したのは、幼馴染である出水だった。
「はあ!? !?」
 人前にも関わらず下の名前を叫んでしまうあたり、彼の動揺のほどが透けて見える。たしなめるような顔を作ろうとしたものの、久々に呼ばれる名はやはり心地よく、は早々に諦めることにした。
 普段は冷やかされるのを厭って苗字で呼び合っているものの、家族の前や他人の目がない時は子供の頃のままの呼び方をしている。だから気を抜いたりするとこうして、本来の呼び方が飛び出してしまうのだ。
 出水は言ってから気付いたのか、微妙に勢いを削がれた様子で「……なんでおまえがここに」と漏らした。
「おひさ~、公平くん。元気? 船酔いしてない?」
「するかばか」
 茶化すようなの言葉に毒気を抜かれた様子の出水は、深い溜息のあとで「ったく、いくらで買収されたんだよ」と呆れきった表情を浮かべる。幼馴染の行動原理をよくよく理解した言葉に、と買収した本人である迅は揃って吹き出した。
「からから亭の特上唐揚げ御膳と、冬季限定いちごパフェでーす。すんごいおいしかった」
「良いお値段でした」
 緊張感の欠片もないこのふざけた応酬に、遠征部隊と木虎にうっすらと苛立ちが滲む。戦闘の緊迫とはまた違った種類の刺々しい空気を感じ、取り繕うようにすまし顔を作るだったが、迅の方は気付いているのかいないのか、飄々とした笑みが崩れることはなかった。考えの読めないその表情で、迅は遠征部隊に向き直る。
「嵐山たちがいれば、はっきり言ってこっちが勝つよ」
 出来れば戦わずに済ませたい。そう言葉の端に匂わせながらも、すんなりと撤退を選んでくれないことは分かっていた。少なくとも迅の視線の先にいるあの男だけは、決して見逃さないだろう。未来視なんて持たずとも、この場にいる誰もが分かっていることだった。
「おもしろい。――おまえの予知を、覆したくなった」
 すらりと得物を鞘から抜き放ちながら、その男、太刀川慶は瞳に獰猛な光を灯す。誰よりも戦闘を愛するこの獣が、こんな機会を逃すはずがない。
「やれやれ……。そう言うだろうなと思ったよ」
 風刃に手をかける迅もまた、その口振りに似合わず楽しげな色を瞳にのせていた。

 一度退避した家屋の上で、迅とと嵐山隊は思案していた。正確に言えば、思案しているのは迅と嵐山隊の四人だけだ。基本的に作戦の立案や指揮は不得手であるは、四人の会話に口を挟むことなく周囲へ視線を走らせる。あちら側も様子を伺っているのか作戦会議中か、まだ近くに敵影はない。
「どうせなら、分断されたように見せかけてこっちの陣に誘い込んだほうがよくないですか?」
「そうだな。賢と連携して迎え撃とう」
 どうやら嵐山隊は方針が固まりつつあるようだ。周囲への意識を残しながらも、は少々控えめな挙手とともに指示を仰いだ。
「はいはーい、は? どうしたらいいですか?」
「そうだな、幼馴染対決と師弟対決、どっちでも好きな方選んで良いぞ~」
「おや、それは贅沢ですね」
 迅の返答に、の瞳がきらりと輝く。出水か、風間か。どちらも間違いなく手強い相手であり、の手の内を熟知している二人だ。もちろんそれは逆も然り。自分が呼ばれたのはそういうわけだろうかと勝手に納得しつつ、の心は決まった。
「最近相手してもらってないし、風間さんにします」
「やっぱりそうなるか。うん、それじゃあはおれと来てくれ」
「りょーかいです」
 話がまとまったところで、迅が視界の端に敵の姿を捉える。「おっ来たな」大きく動いたのは、三輪隊と出水らしい。
 飛び出していく嵐山隊の背を見つめながら、は「ううん、でも幼馴染対決も捨てがたいかも」とひとりごちる。しかし出水を選んだとしても、風間との戦闘チャンスを思って後ろ髪を引かれたことだろう。
「さて、おれたちも行くか」
「はーい!」
 今は、目の前のことに集中しよう。気を揺らした状態で相手取れるほど風間は甘くないし、そうした隙を決して見逃してはくれない人だ。返事とともに気を引き締め直して、も迅の後に続いた。



Up:2018.06.20