なんでもないある日の午後
からから亭は三門市立第一高等学校にほど近い、揚げもの料理を売りにしている和食店である。なかでも唐揚げには一家言あり、全国区の雑誌に掲載されたこともある。品揃えも豊富で、高校生にも手頃な価格の定食から味にこだわったコース料理まで、幅広い層の需要に応える名店だ。
平日のランチタイムが終わりかけている現在、カウンター席はいくらか空席が出来ている。奥の座敷とテーブル席はまだほとんど埋まっており、窓際のテーブル席のひとつに座るのがと迅だった。
「ん~まい!」
「そりゃよかった」
歓喜の声を上げるに、向かいに座る迅は言葉通り顔をほころばせた。こうも幸せそうに食べてくれるなら、おごる甲斐もあるというものだ。一口一口を幸せそうに噛みしめていくの食べっぷりは見ていて気持ちが良かったし、先日遠征へ旅立っていった出水の助言はやはり正しかったようだ。
上手く行ったら、出水にもなにかお礼をしないとかな。
定番といえば焼き肉だ。男子高校生の胃袋を唸らせるにはそれなりの出費を覚悟しなければならないが、可愛い後輩たちのためと思えば些細なことである。
しかし、あまり豪勢にしてはかえって嫌味だろうか。出水の
あれこれ思考を巡らせながらも、迅はそれを表に出すことなく、他愛のない話題だけを自然に、しかし慎重に選んでは投げかけていく。はたいそう機嫌良く唐揚げを味わい、会話を楽しみ、和やかな時間だけが過ぎていった。
が特上御膳をすっかり平らげる頃には、迅の日替わり梅御膳も空になっていた。ちょうどお冷やを注ぎにテーブルを回っていた店員が食器を下げ、代わりに食後のデザートを運んでくる。の冬季限定・いちごパフェと、迅のチョコサンデーだ。メニューに載っている写真ではわからなかったが、いちごパフェはチョコサンデーの倍近くの高さとボリュームがある。さすがのも驚いているかと目を向けたものの、彼女は特上御膳が運ばれてきたときと同じ瞳の輝きでパフェを見つめていた。甘いものは別腹、というやつだろうか。あのパフェに盛られた生クリームの半分も食べれば胸焼けするだろうことは、迅が自身のサイドエフェクトを使わずともわかることだった。
着々とパフェの山を崩していたは、下層部のコーンフレークとほとんど溶けてしまったいちごのアイスクリームを長いスプーンでかき混ぜながら、ちらりと視線を迅へと投げた。先ほどまでのはしゃいだ様子から一変して、凪いだ水面のような落ち着きを見せるに、迅はそっと息を呑む。
「次、いつなんですか?」
「まだ俺の財布で食べる気か?」
「そのつもりなのは
平然と答えて、はアイスでふやけたコーンフレークを口に運んだ。うーん、やっぱ冬のアイスも最高だよねえ。しみじみと呟きながら頬を緩ませるは再びパフェに集中し始めたように見せて、意識の半分はしっかりと迅に向けている。
迅は吝嗇ではないけれど、無駄もない男だ。特上御膳といちごパフェがただの気まぐれでないことは、迅という男とそれなりに付き合いがあればわかることだった。
まいったな、と頬を掻きながらも迅に焦る様子はない。ある程度は勘付かれていると思っていた。そうでなくては困る、とも。A級として場数を踏んでいる彼女に、そのあたりの察しの良さや嗅覚の鋭さがそなわっているのは当然だ。だからこそ声を掛けることにした。単純に、部隊に縛られず動けるは捕まえやすかったというのもあるのだが。
「まあ、まだ確定じゃないんだけど。次の遠征部隊が帰ってくるあたりで、ちょっとがいてくれると助かる気がするんだよ」
「だいぶぼんやりしてますね。とりあえず、来週の水曜日以降ってことですか?」
「うん、多分水曜の晩かな。あとは嵐山隊にも声掛ける予定」
「また新しい門? あのちまちましたの、また出るんですか?」
「いーや。トリオン兵じゃないよ。相手は
「…………は?」
パフェグラスの底を覗き込んでいた瞳が、迅の顔を正面から捉える。驚きに目を瞬かせてから、数拍――は、いたずらっ子のようにニッと笑った。
「なんですか、それ。すっごく楽しそう」
おいしいものを食べた後のは、すこぶる機嫌が良くなるという。
それが大好物であればなおのこと、おごりであれば交渉は確実なものとなる。注意点をあげるなら、食事中に面倒な話題を振らない、ということくらいか。
すべて、彼女の幼馴染である出水公平の見解である。
――あいつ食い意地張ってるからなんでも食うけど、唐揚げだけは目の色変わるんすよね。
出立の数時間前、ラウンジで暇をもてあましていた出水は、そう言って笑ったのだった。何気ない雑談を装いながら迅が質問を重ねていけば、出水は冗談交じりに幼馴染のことをあれこれと語ってくれた。
「じゃあ、オーケーってことでいい?」
「いいですよ。でも、わたしがいい仕事したら出水のぶんもご飯おごってあげてくださいね。ここのエビフライ、あいつも好きなんで」
最後の一口を味わってから、はにこやかにそう言った。「出水も?」と迅が首を傾げれば、ジトッとどこか責めるような眼差しが返される。
「どーせ食べもので釣ったらチョロいとか、出水が言ったんでしょ? 迅さんの方からここにしようって言うから、なんか変だなーって思ってたんですよ。遠征前にラウンジで二人が喋ってるのも見かけたし」
わたしばっかおごってもらってたら絶対文句言われるもん。口を尖らせながらも、の目はどこか穏やかだ。出水がのことを話していたときも、ちょうど同じ目をしていたことを思い出す。
「仲が良いんだな」
「出水とですか? そりゃ、まあ。生まれたときからの付き合いですからね」
「はは、答え方も出水と同じだ」
面白がるような顔の迅に、は「よく言われますから」と慣れた様子で返す。なんともからかい甲斐のない反応だ。もっとも、彼女の機嫌を損ねて困るのは迅のほうなので、それ以上踏み込むことはしなかった。
ふと時計に目をやれば、そろそろ十六時を回る頃だった。実力派エリートたる迅は当然のこと、今日はもまだ予定があったはずだ。壁に掛かった時計を差しながら、迅は話題を変えるように言った。
「そういえば、あとで学校に寄るって言ってたよな。時間は?」
「えっやば! 四時半までですっ! プリント出さないと数学の成績なくなっちゃう!」
「それは大変だ。支払いはおれだし、先に行っていいよ。詳しいことはあとで連絡するから」
「了解です! それじゃ、今日はごちそうさまでした。失礼しまーす!」
「ああ、また」
ぺこりと頭を下げると、は慌ただしく店を飛び出していく。ここから高校までは走って十分と掛からないから、が必死で仕上げた数学のプリントはおそらく無駄にならないだろう。やれやれと微笑んで、迅は伝票を掴み立ち上がる。
とこの店で話している「今」を見たのは、遠征部隊が出立する半日前のことだった。その時はまだどんな目的でと接触することになるのか分からなかったが、情報が多いに越したことはないだろうと出水に探りを入れておいたのだ。結果、迅の計画は無事にひとつ進んだ。足りないピースはまだ多いけれど、それもすぐに明らかになるはずだ。
――大丈夫。焦ることはない。迅のサイドエフェクトは万能ではないけれど、向かうべき未来なら、彼自身が知っている。