コードネームはサムちゃん



 地球のアニメをこよなく愛していると言うだけあって、彼女(口調や声からして、多分女の子だと思う)は優秀な同居人となりそうだった。朝は私の起床まで部屋の中でおとなしくしていたし、食事を用意するから待っているように言えば素直に頷いてくれた。しゃべる動物が地球人にとっていかに珍しい存在であるのかわかっているようで、「ご家族の前ではぬいぐるみに徹しますわ」と自ら言い出すくらいだ。妙に楽しそうなのが少々、気になるといえば気になるのだが。
 というかこの子、完全にうちで暮らす気なんだろうか。ペットなんて飼ったことはないので少し不安だが、言葉が通じるのだしなにかあれば本人に聞けばいいだろう。うちの食事も口に合ったようでなによりだ。器用にスプーンを使って食べる姿には驚いたが、会話が通じる時点でいろいろおかしいのでもう今更だった。

「今後のために一度会合を開こうと思うのですけれど、よろしいかしら?」
「会合?」
 朝食のあとに部屋でゆっくりしていると、彼女はそんなことを言い出した。会合とはなんとも仰々しい。
 そういえば、いまだに名前を聞いてなかったな。もしかしたら昨日の長い演説の最中に名乗っていたのかもしれない。あとでそれとなく聞いてみよう。
「悪を討つ正義の組織に必要なものは、秘密基地と作戦会議ですもの!」
「は、はあ……」
 思わず間抜けな声が漏れてしまった。その正義の組織とやら、考えたくはないが私もその一員にさせられているんだろうか。自然と意識は昨日取り付けられたブレスレットに向かっていた。半分ほど記憶から抜けていた(というより心の安寧のために忘却していた)保健室での出来事が思い起こされる。しゃべるピンクのウォンバット、追加戦士、愛の王位継承者、そしてこのブレスレット。
 まるで子供向け番組のような話だが、その手の作品のマスコットキャラのようなしゃべる動物を前にしてしまえば、なにかの冗談だろうと笑い飛ばすことは難しい。しかもこれが私一人の身に起こったことなら白昼夢を見た可能性を検討するところだが、幸か不幸か渦中にある人間は私だけではない。まったくの他人ならまだしも、同じように巻き込まれているのは数年来の友達だ。非現実的なことながら、それを否定する材料のほうがよほど少ない。
「@:#☆%$には連絡してありますから、さっそく出かけましょう」
「えっ、なに……誰?」
「ですから、#$%&@*です!」
「……うん、わかった。支度するね」
 正直さっぱり聞き取れなかったが、もう聞き返しが許されそうにない空気だったので頷くことにした。というかこんなところで気力を使い果たしたくないというのが正直なところだ。
 部活も稽古も休むことになったとは言え、一日中家に引きこもっているのは性に合わないので、出かけること自体は素直に賛成だった。どうせ会いに行けばすべてわかることである。少し散歩してくると言えば家族も心配しないだろう。
 手早く支度を整えると、彼女は当然の顔で私の鞄の中に潜り込んだ。なんでも、マスコット動物の移動は鞄の中と決まっているものらしい。ぬいぐるみのフリをした彼女を抱きかかえて歩くよりはよっぽど精神的な負担がないのでありがたかったけれど、いったいどんなアニメを見てきたのかちょっと気になってしまった。
 秘密基地というのでどんな場所かと思えば、なんてことはない普通の銭湯だった。いつもは「黒玉湯」と暖簾が掛かっているが、今日は休みなのだろうか。眉難高校の正門へ続く長い長い石段の途中にあるそこは、兄の高校時代の先輩が営んでいるそうで、何度か来たことがある。
「みなさんもう揃っていらっしゃるようですわ」
「みなさんって?」
 聞き返せば、彼女はどこか怒ったような様子で「バトルラヴァーズのみなさんですわ!」と鞄の中から声を張り上げた。思わず周囲を見回したけれど、通行人は誰もいないようだ。ほっと息を吐いてから女湯のほうへ入ろうとすると、「そっちじゃありませんわ」と声がかかる。
「でもこっち、多分男湯だよ?」
「かまいませんわ。今日の目的はそこじゃありませんもの」
 休業日のようだし、確かに問題はないのかもしれないが……。少々気まずく思いながらそっと引き戸を開けると、見知った顔があった。
「えっ、!?」
 そう言って立ち上がったのは私服姿の蔵王だ。隣には鳴子くんと、それから三人ほど同世代くらいの男子がいる。その中のひとり、金髪の可愛らしい顔立ちの男の子がぱたぱたと駆け寄ってきた。
「昨日のクマノミ怪人さんだ! こんちわっす!」
「あっ馬鹿!」
「く、クマノミ……?」
 というより怪人ってなんだ。初対面でいきなり怪人呼ばわりとは、うちの道場の生意気な小学生よりもはるかにやんちゃだ。だが男の子の表情にいたずらやからかいといったものは一切混じっておらず、どう対処していいのか反応に困る。考えあぐねていると、男の子は残りの二人の男子にずるずると回収されていった。その二人が焦ったようになにごとか耳打ちすると、金髪の男の子はしゅんと肩を落としてこちらへ戻ってくる。
「あの、さっきのはなんでもないっす。俺の勘違いっす、ごめんなさい」
「えっ? そう、ですか……」
 ぺこりと頭を下げられては受け入れるしかないだろう。「間違いは誰にでもあるし……気にしないで」取り繕うように笑顔を作りながらも、内心ではどうにも引っかかるものを感じてしょうがない。それとなく蔵王に視線を向けてみれば、なぜかあからさまに逸らされてしまった。そのことに、ぎゅっと胸が締め付けられるような思いがする。
 もしかして、昨日の喧嘩のこと、本当はまだ怒ってるのかな。
 あの時は私が倒れたからそれどころではなくなってしまっただけで、もう友達だなんて思ってはいないのかもしれない。蔵王は、優しいやつだから、直接そんな態度を取ったら私が傷付くだろうと和解の言葉を口にしただけなのかも。
 目を合わせてもらえなかった、たったそれだけのことで思考は悪い方向へと転がっていった。昨日もっとしっかり謝っておけばよかった。そもそもあれくらいで怒った私がいけなかったんじゃないか? 瞬く間に後悔ばかりが押し寄せる。悔恨の海に溺れかけた私を引き上げたのは、鞄から顔を覗かせた彼女の声だった。
ちゃん、みんなと顔合わせは済ませていないの? 知り合いだと聞いていたのだけど?」
 誰になにを聞いたのか知らないが、先ほどの男の子と彼を回収した二人とは完全に初対面だ。鳴子くんとは知り合いと言えば知り合いだけど、昨日会ったばかりである。確実に知っていると言えるのは蔵王一人だが、その蔵王も、今となっては微妙かもしれない。
「知り合いはいるけど、全員じゃないよ」
「そうでしたか……だったら自己紹介から始めたほうがよさそうですわね」
 顎のあたりに前足を添えて思案するようなポーズをとる四足歩行の動物はなんとも奇妙に映ったが、その不可思議さが妙な笑いを誘った。口元にこそ出さなかったが、沈みかけていた気持ちはわずかだが上昇する。それに自己紹介からというのはありがたい。これなら彼女の名前も聞けそうだ。
 肩へ飛び乗ってきた彼女は、鼻先をひくひくとさせながら脱衣所を見回した。彼女が連絡したという相手がいるはずだし、それを探しているのだろう。昨日会ったピンクのウォンバットがそうなのだろうか、とあたりをつけているうち、奥のほうへ首を伸ばしていた彼女が「あら」と声を上げる。それに被さるようにして、先ほどの男の子が喜色いっぱいに叫んだ。
「ポッサムだ!!」
 あまりの勢いにびくっと体を揺らすと、その反動でバランスを崩した彼女がころんと転がり落ちてしまった。思わず手を伸ばした私よりも速く、目の前へ駆けつけていた男の子が抱き留める。
「お前もウォンさんの仲間か!? よ~しよし!! モフモフしてやる!!」
「な、なんですの一体! やめてください!!」
 身をよじって逃れようとする彼女にお構いなく、男の子は喜々として彼女を撫でまわし始めた。突然のことにあっけにとられていると、慣れた様子の蔵王が「ポッサムってなに? 死んだふりするやつか?」と声をかける。
「それはオポッサムですね。どうやら違う種類のようです」
 隣でタブレットを弄っていた鳴子くんが画面を見せると、蔵王は「へえ」と感心したように頷いた。だがすぐに興味が失せたようで手元のスマートフォンに視線が戻っていく。鳴子くんもまたすぐに自分の作業を再開したようだった。
「なあ、それってどう違うんだ?」
 先ほど男の子を回収した二人の片割れ、眠そうな顔をした人が問えば、今度は男の子が手を止めないままに答えた。
「オポッサムはもっと耳がまるっこくて、顔がひょろっとしてるっす! ポッサムはカンガルー目だけどオポッサムはオポッサム目だからあんまり親戚じゃないんすよ、名前が似てるだけで。ウォンバットはカンガルー目だから、そっちのほうが親戚っす!」
「ああっもう! いい加減になさいっ!!」
 男の子の隙を見て逃げ出した彼女は、急いで私の肩に飛び乗った。乱れた毛並みを撫でつけながら怒り心頭といった様子で声を震わせる。
「ポッサムでもオポッサムでもありませんわ! わたくしには@:☆*&という名前がありますのよ!」
「え、なんて?」
 真っ先に聞き返したのは蔵王だった。心外と言わんばかりに彼女は名前らしきものを繰り返すのだが、相変わらずなんとも聞き取れない不思議な発音だ。しかもさっきとは微妙に変わっているような気がする。
「さっきと違ってねえか?」
「これ前にもやったような気がするなあ」
 眠そうな顔の人と、隣の眼鏡の人が苦笑交じりに顔を見合わせた。緊張感のないその様子が彼女の怒りをさらに煽ったようで、「なんなんですの、あなたたち!」と毛を逆立てる。私の肩の上だということを忘れているのか、思いきり彼女の爪が皮膚に食い込んだ。痛みに顔をしかめると、それまでベンチに座っていた蔵王がさっと立ち上がる。スマホをしまってこちらへ近付くと、彼女に視線を合わせるようにほんの少し屈んで、人好きのする笑みを浮かべた。
「あー、悪いんだけどその名前、俺たちにはちょっと難しいっていうかさ。……だから友好の証ってことであだ名つけてもいい?」
「友好の証、ですか?」
 疑うよな目を向ける彼女だが、蔵王はめげた様子もなく「かわいいあだ名のほうが親しみが湧くだろ?」とウインクを飛ばす。
「そーだ、サムちゃんとかどう? 呼びやすいしさ。な、
「えっ? ああ、うん……あだ名のほうが仲良くなれた感じがする……かな?」
 突然話を振られて驚いたけれど、どうにか彼女を納得させられそうな言葉をひねり出す。彼女はしばらく考え込むようにしてから、こくりと頷いた。
「……そういうことでしたら、構いませんわ。わたくしのことはサムちゃんとお呼びくださいな」
「おう、よろしくなサムちゃん」
 蔵王の指と彼女の前足で握手らしきものを交わし、めでたく彼女の呼び名が決まった。私からも「改めてよろしく」と声をかけると、サムちゃんもどこか嬉しそうに頷く。怒りが晴れたおかげで私の肩も無事に救われた。
 ……うっかり流れでよろしくしてしまったものの、この子は一体何者なんだろうか。昨日のウォンバットの仲間っぽいことはなんとなく感じているものの、そもそもあのウォンバットだって正体が不明だ。蔵王にその辺りを聞けたら、と思ったけれど、ついさっき目を逸らされてしまったことが尾を引いていて、自分から話しかける勇気は出なかった。
 一方、一部始終を見守っていた鳴子くんたちは、感心したり呆れたりと三者三様だった。
「おお……立が宇宙人を口説き落とした」
「あいつメスならなんでもいいのか?」
「彼の話術の巧みさは目を見張るものがありますね……というか、やはりあれもウォンバットの仲間なんでしょうか」
「そうじゃなかったらなんなんだよ、またとんでもない設定が降ってきたって困るだろ」
「例えば?」
「あー……魔法の国から来たー、とか?」
「うわあ、ありそう」
「あの無駄極まりない衣装でこれ以上無意味な行為を続けなくていいと言うなら、魔法の国からの使者でも構いませんけどね」
「確かに、俺らのお役御免ってことなら歓迎かなあ」
「そううまく行けばいいけどな」
「まあないだろうね」
「……でしょうね」
 三人は落胆とも諦念ともつかない表情を浮かべて肩を落とした。
 会話の内容はもちろん気になったが、あの男の子だけ姿がないのも気にかかる。そっと視線を巡らせたその時、ビリっと静電気のようなものが左手に走った。発生源はブレスレットらしい。
「うっわ、マジかよ」
 どうやらそれは私だけではないようで、目の前の蔵王も苦い顔をして自分の手に視線を走らせた。あの三人も同様らしい。
「おいおい、今日土曜だぜ? 敵さんやる気ありすぎだろ」
「平日だって面倒くさがるくせに」
「面倒に平日も休日もない。でも休日のほうが三割増しなんだよ」
「わかります、休日料金を請求したいですね」
 鳴子くんたちが気怠そうに立ち上がったところで、番台からあの男の子が出てきた。昨日のウォンバットを抱えている。姿が見えなかったのはウォンバットに構い倒していたからなのだろう、ウォンバットの毛並みは見るも無残に乱れていた。心なしかぐったりした様子のウォンバットはこちらをぐるっと見渡すと、きりっと表情を引き締めた。前足を男の子の腕に叩きつけるようにしながら、声も高々に言い放つ。
「みなさん、バトルラヴァーズにラブメイキングです!」
 その刹那、視界が色とりどりの眩い光に満たされた。



Up:2018.05.30