愛を取り戻せ



「なあ、アツシ。カクレクマノミって知ってるか」
 ぼんやりと部室の天井を見上げながら、由布院はこれまたぼんやりとした調子で口を開いた。近くに座る鬼怒川は、手元の本に目を落としたまま答える。
「映画で有名になった熱帯魚だっけ。オレンジ色の」
「ああ。父親が子供を探す感動映画の、あの魚だ」
「それで、そのカクレクマノミがどうしたの」
 由布院がよくわからないうんちくを披露するのは、かなり暇を持て余している証拠だった。
 有基は相変わらずウォンバットをモフることに勤しんでいるし、二年生はどこかに出ている。鞄は置いてあるのでそのうち戻ってくるだろう。
 煙ちゃんっていつもどこからそんなうんちくを仕入れているんだろう。不思議に思いつつ、鬼怒川は耳を傾ける。
「あの映画で脚光を浴びたカクレクマノミだが……日本の学者の見解ではカクレクマノミじゃないらしい」
「えっ、そうなんすか?」
 ぐったりとした様子のウォンバットを腕に抱えて、床に座り込んでいた有基がくるりと振り返った。カクレクマノミ談義に興味を持ったようだ。気が逸れたのをいいことに、ウォンバットはあっという間に有基の腕を抜け出していった。
「ああ。あれはカクレクマノミによく似た別種で、クラウン・アネモネフィッシュって種類らしい。クラウンとはピエロのことで、イソギンチャクと戯れる様をピエロに見立てているんだ」
「じゃあ、アネモネは何すか?」
「そっちはイソギンチャクのことだな。英語ではイソギンチャクのことを、海のアネモネって言うんだよ」
「海のアネモネかあ……確かに花みたいに見えるものもあるね」
「ちなみにアネモネの花言葉は、はかない恋、恋の苦しみ、見捨てられた、見放された……」
「うわっ、暗いのばっかりっすね」
「花言葉にもそういうものってあるんだねえ」
「西洋の花言葉は神話が元になっているものが多いらしいからな。ギリシャ神話なんか特に、神々同士の痴情のもつれで大変なことになってるから、暗い花言葉もあるんだろ」
「へえ……。確かにゼウスって、そういう話に事欠かないイメージあるね」
「恋多き男ってやつか。立みたいだな……っと、噂をすればなんとやら、か?」
 二人分の足音に、由布院はドアの方向へ視線を向けた。釣られて二人も視線を移す。
 やってきたのは予想通り、二年生の二人だった。
「ごきげんよう、先輩」
「うぃーっす……」
 普段通りの鳴子に反して、蔵王は目に見えて気落ちしていた。有基ほどではないが、蔵王もこのメンバーの中では賑やかな方だ。日頃との落差で余計に落ち込んで見える。
 鬼怒川は伺うように鳴子に視線をやるが、彼は黙って肩をすくめただけだった。いつになく凹んだ様子の蔵王は崩れるように椅子に座り込むと、深い溜息を吐き出した。
「どうしたの、立。お疲れだね」
「はあ、まあ……お疲れっつーか、なんつーか……」
「痴情のもつれか?」
 あまりにストレートに言葉を投げる由布院に、鬼怒川は困ったように笑った。
「当たらずとも遠からず、といった感じでしょうか」
 代わりに鳴子が答えたが、蔵王は緩慢な動きで首を振る。
「おいおいどっちだよ」
「女の子絡みなら深く突っ込まないほうが良いんじゃない。当事者以外が首を突っ込むと、悪化することもあるし。ね、煙ちゃん」
 同意を求めてみたものの、由布院は方針が違うらしい。「そうか?」とつれない返事である。
「女は絡んでるけど、女絡みじゃないっす」
 むすっと拗ねたような調子でそれだけ吐き出して、蔵王は机に突っ伏した。もう会話する気がないらしい。
「おい鳴子、通訳」
「良いですか、お話しても」
 蔵王はぴくりともしなかった。だが、ダメとは言い出さないので了承の意なのだろう。鳴子はそう判断して、先程見聞きしたことをかいつまんで説明した。
「つまり、男だと思ってた友達が、実は女の子だったと」
「クマノミだったんじゃね?」
「ああ、雄性先熟。この前の生物でちょっと話出たなあ」
「ユーセーセンジュク? それ何すか?」
「雄として成熟したあと、繁殖の都合で後から雌に性転換するってことだ」
 由布院の説明ではいまいち足りなかったようで、有基はこてんと首を傾げる。補足しようと口を開きかけた鬼怒川を遮るように、蔵王ががばっと顔をあげた。
「あーもう、茶化さないでくださいよ! こっちは本気で落ち込んでんですから!」
 ごめん、と反射のように鬼怒川は謝ったが、由布院は意に介さず疑問を口にする。
「何をそんなに落ち込んでんだ? 女の子だと思って声かけたのが男だった、ってよりもマシなんじゃねえか?」
「問題はそこだけど、そこじゃないっていうか……」
 相も変わらず要領を得ない蔵王の言葉に、鳴子が解説を挟む。
「立はその友人と、今日の放課後に会う約束をしていたんです。なのに立が女の子をナンパしたものだから機嫌を損ねたというか。まあ、その友達も女の子も、同一人物なんですが……」
「たまたま同一人物だったから良かったけど、これが別の女の子だったらブッキングだよね」
「そういうことですね」
「やっぱりクマノミなんじゃね?」
「煙ちゃん」
 さすがに茶化しがすぎると判断したのか、熱史が釘を刺す。由布院がちらりと蔵王に視線をなげると、恨みがましげな目とぶつかった。少々やりすぎたか。さすがの彼も反省したようで、バツが悪そうに頬を掻いた。
「悪かった。……まあそんな落ち込むなよ。喧嘩しちまったんなら、仲直りすりゃ良いだろ」
「仲直り、ですか」
「そーっすよ! 煙ちゃん先輩の言うとおりっす。ちゃんとごめんなさいってしたら、きっと許してくれるっすよ」
「ダメだったらどーすんだよ」
 あまりに真っ直ぐな有基も物言いに、かえって蔵王はネガティブなスイッチが入ったようだ。駄々っ子のように口を尖らせる蔵王に、年下であるはずの有基が諭すように言った。
「許してもらえるまで謝るんす。ごめんなさい、また仲良くして、って気持ちが伝わるまで」
「…………」
「ここで変に意地張ったり遠慮したりしたら、余計に拗れるぞ。それともその友達とは、もう元に戻れなくても良いのか?」
「絶対嫌っすよ、そんなの!」
「だったらやることは一つだ。だろ?」
「……うっす」
 素直に頷いた蔵王に、由布院は表情を緩めた。鬼怒川と鳴子も、ほっとしたように目を見合わせる。
「まさに愛……素晴らしい……!」
 それまで部室の隅から成り行きを見守っていたウォンバットは、つぶらな瞳を潤ませながら感嘆の声をあげた。
 友情もまたひとつの愛の形である。落ち込む仲間を気遣うのも、立派な愛の活動だ。この地球の中でまた一つ愛が生まれたことに、ウォンバットは深い感動を覚えた。やはり彼らを選んだ自分の目に狂いはなかった。彼らこそが愛の王位継承者であるのだと。
 と、そこへ。
 五人の手首に、ビリリっと電流のようなものが走った。ウォンバット謹製ラブレスレットの機能、愛なき怪人を知らせるラブアラートである。
「皆さん!」
 ウォンバットは俵山先生の腕に抱えられたポーズでビシッと短い腕をかざした。
「皆さんの大いなる愛を知らしめる時です!」
「相変わらず大げさだよね、ウォンバットって」
「つーかこのタイミングで来るか、普通」
「あっちには俺たちの都合なんて関係ないだろうし、仕方ないよ」
「騒がしいのはグラウンドの方向でしょうか」
「ったく! さっさと片付けて、に謝りに行く!」
 決意新たに蔵王が立ち上がると、ウォンバットは喜色に満ちた声を上げた。
「蔵王さん! やっと愛の王位継承者として目覚めてくれたのですね!」
「それはない」
「なんですと!?」
 喜びをあっさりへし折られて固まるウォンバットには見向きもせず、蔵王はさっさと部室を出ていった。
「あ! 待って下さいよリュウ先輩!」
「さて、俺らも行きますか」
「だね」
「立のためなら仕方ありませんね」
 かくして五人と一匹(ともう一人)は、今日も愛なき者たちに愛を届けるため、部室を後にするのだった。
 蔵王は我が目を疑った。
 我先にとグラウンドへ駆けた蔵王だったが、近付くにつれて男子校らしからぬ賑わいを見せていることに一抹の不安を覚えた。そして、目にした光景は。ここはうちの――男子校である眉難高校の――グラウンドだったよなと、蔵王は自分で自分に問いかけざるを得なかった。
 サッカー部や野球部、その他運動部のユニフォーム姿から、たまたまグラウンドにいたらしい制服姿の生徒、そして教師らしき人影。それら全てが、女性なのである。
「な、……なんだ、これ」
 見渡す限り、女、女、女。いくら女好きを自負する蔵王と言えど、さすがに喜びなどよりも混乱が先んじる。しかも見覚えのある特徴を残した女子がちらほら見えることから、突如としてこの女たちが眉難高校のグラウンドに押し寄せたのではなく、ここにいた男子生徒や教師たちがすっかり女に変わってしまったと考えるのが自然だろう。そしてこんな驚異的な事態を引き起こせるのは、蔵王の知る限りでは怪人だけ。この騒動が今回の怪人の仕業であることは明白だった。
 ――中身が男である女の子は、アリかナシか。グラウンドの光景を視界に入れながら、蔵王はぼんやりと考える。それが現実逃避の一種であることに蔵王は気付いていたが、時には現実から離れることも必要だ。適度な幻想と、それを守る努力こそが、男女間の仲を長持ちさせるコツである。蔵王はこの歳でそれをよく理解していた。
 きゃあきゃあとグラウンドを満たす声は、確かに女のもの。うずくまったり頭を抱えたり、はたまた服の下に手を突っ込んでは顔を赤くしたり青くしたりと反応は様々だが、遠目に見ても姿形は女の子でしかない。しかしその振る舞いは蔵王がよく知る「女の子」とは天と地ほども差があった。
「いや、ねーな……」
 誰に言うともなく呟いて、蔵王はひとつ頷く。
 肉体だけが強制的に女になった男の姿を、蔵王の魂は女とは認めなかった。
 この光景に対する女好き・蔵王立としての結論がつくと、ようやくこの現実を受け入れる準備が整った。つまり怪人退治に乗り出すのである。すでに数度の変身と戦闘を経験している蔵王は、自分でも気付かないうちに愛の王位継承者としての自覚を抱き始めていた……ということはまるでなく、この騒ぎでは友人との仲直りもままならないと判断してのことだった。

 騒ぎの中心を探すべくあたりを見回していると、背後から蔵王を呼ぶ声がした。
 普段の眉難高校では、滅多に聞こえることのないハイトーン。しかし現在の眉難高校のグラウンドには恐ろしいほどに溢れかえった、可愛らしい女の子の声。蔵王はなぜか嫌な予感がした。
 恐る恐る振り向いた視線の先にいたのは、金色の髪を靡かせながら駆けよる美少女だった。小柄で華奢な彼女は水色のセーラー服がよく似合っている。街中で見かけたらまず間違いなく声を掛けるだろうハイレベルな容姿。だが、走り方がどことなく男らしい。
 蔵王にはそれが誰なのか、なんとなく察せてしまった。
「リュウ先輩!」
 その呼び方で、蔵王の予感は確信に変わる。目の前で立ち止まった美少女を、頭から爪先まで見下ろして、また視線を戻す。癖のある金髪、ぱっちりした赤い瞳。
「お前、もしかしなくても……ユモト、だよな」
 できれば違うと言ってほしい、どこかでそう願いながらも蔵王は口にした。願いも虚しく、それはあっさりと肯定される。
「そうっす、オレっす! リュウ先輩追っかけてたら、いきなりどこかから声がして、ビカビカって目の前が光って! 気付いたらオレ、急に髪が伸びてて!」
 身振り手振りで必死に状況を説明する有基に相槌を返しながら、蔵王はちょっと気が遠くなった。いや、ちょっとではなく、かなり。
 すでにグラウンドの惨状を目の当たりにしていたものの、遠目に状況を確認するのと身近な人間が当事者となった様を見るのとでは、押し寄せる衝撃が桁違いだ。
「しかも制服がスカートになってるし! すっげースースーするって思って、そしたら……」
 有基はそこで、ごくりと息を呑んだ。わなわなと唇が震えている。一度呼吸を整えてから、有基はぎゅっとスカートの裾を握りしめた。
「だ、大事なものも、なくなってたんすよ!!」
 それが何を指すのか、蔵王は正確に理解した。遠くにグラウンドの喧騒――今の蔵王には、有基と同じ悲痛な叫びの合唱に聞こえた――が響いていた。
「わかった、わかったから。とりあえず落ち着けって」
 他に何を言えば良いのか分からない。一番冷静さを欠いているのは蔵王かもしれなかった。
「でも……!」
 泣き出さんばかりの取り乱しように、蔵王もうっかり泣きそうになった。男の象徴、ステータスとも呼べるアレがなくなるなんて、考えただけでも背筋が凍りつく。どうりでグラウンド中が阿鼻叫喚なわけだ。
 蔵王は一度深く呼吸した。これでも自分の方が先輩なのだ、自分がしっかりしなくては。それに、カッコ悪いところは見せたくない。どうにか気持ちを落ち着かせて、先程の有基の話で気になった点をあげてみる。
「目の前が光ったって言ってたけど、それっていつだ?」
「中庭を通る時だったと思うっす。ベンチに座ってた人たちがいつの間にか女の子になってたから、おかしいなって思って。それで、オレもふと足元を見たら……」
 その瞬間の衝撃を思い出したのだろう。くしゃりと顔を歪めた有基は、目元に大粒の涙を浮かべて俯いた。肩を震わせるその姿は、どこから見ても女の子でしかない。
 女の子が目の前で泣いていたら、蔵王がすることと言えば一つだった。黙って抱き寄せて、泣き止むまで頭を撫でてやるのが最も人気が高く効果的。女の子は安心感を得られるし、自分は女の子の柔らかいぬくもりに触れることが出来て一挙両得というわけだ。
 しかし。
「ほら、泣くなって。怪人倒せばきっと元に戻るだろ。それにまあ、いざとなったらウォンバットの高度な科学技術でなんとかなるかもしんねーし。な?」
 蔵王はぐしゃぐしゃと有基の髪をかき混ぜた。少し乱暴な手つきは、女の子にはしないものだ。
 有基はすんっと鼻をすすってから、小さく頷いた。
「とりあえず、中庭に行ってみようぜ。イオたちともうまく合流出来るかもしんねーし」
 蔵王の魂がグラウンドの惨状に下した結論と同じく、やはり見た目が多少変わったところで中身が変わっていなければ有基は有基だ。今更扱いを変えるのはしっくり来ない。

 ――あいつも同じだ。
 ふと蔵王の脳裏に過ぎったのは、久しぶりに会った友達。のことだった。
 見違えるように女らしくなった。あの時の言葉に嘘はない、素直に可愛いなと思った。可愛い女の子にしか見えなかった。
 あれがだったと知って、親しい友達として今まで付き合いを続けていたが、女だったと知って。蔵王は、どうしたらいいのかわからなくなってしまった。
 蔵王にとって、今まで「女」と「友達」は、まったく相容れないカテゴリーだったのだ。それが突然、同じものだったのだと言われても、すぐには頭を切り替えられない。だから「友達と喧嘩したなら仲直りすればいい」という、単純な答えにすら一人では辿り着けなかった。もっと問題は複雑で入り組んでいるように感じられたから。
 けれど、今の蔵王には戸惑いも迷いもない。だ。見た目が変わっても、性別が違っても、今までの二人の時間が消えてなくなるわけじゃない。書き換えられるわけじゃない。
 何も変わらない。そのことに気付いたら、蔵王は今すぐに会いたくなった。



Up:2016.09.27