アイドルの条件



 眉難高校に着くと、それまでお喋りに花どころか花火をまき散らしていたような勢いの部員たちが、一斉に静かになった。遠くに男子の低い声が飛び交うのが聞こえてくる。女子だらけの環境が長すぎるあまり、彼女たちの中でレアリティが上昇している〈若い男〉の存在を近くに感じて、ほとんどの部員が落ち着きをなくしていた。意味もなく前髪を弄ったり、制服の裾を正したりとそわそわしている。
 門のあたりで待っていると、近くの建物から兄が小走りでやってきた。うちの顧問と軽く挨拶を交わして、奥の建物を手で指し示す。おそらくあれが部室棟か道場のある建物なのだろう。話が終わると顧問が私たちを振り返り、移動することを告げる。兄も私に気付いたようで、軽く手を振られた。少し気恥ずかしい思いをしつつ振り返すと、案の定、隣にいた巴映に小突かれる。
「あれ、お兄ちゃん?」
「そうだよ」
「先生と生徒か……」
 考え込むようなそぶりを見せる巴映に、すかさず忠告を挟む。
「彼女持ちです」
「あ、了解でーす……」
 巴映は基本的にイケメンにしか食いつかない。若い男の先生というブランド効果もあるだろうけど、兄が巴映のお眼鏡に適ったことは少し誇らしかった。
 兄と顧問に従って校舎の間を進んでいくと、途中で走り込みをしている運動部とすれ違う。
 ダメもとで蔵王の姿を探してみたが、当然ながら姿は見えなかった。
 蔵王は汗水垂らすタイプの青春にはとんと興味がない質だ。スポーツ自体は苦手ではないようだし、モテの探究のために一通りこなしたことがあるというが、スポーツのためにスポーツに打ち込むというのは性に合わないらしい。そんな蔵王が高校では部活に入ったというので驚いていたが、彼の所属している「地球防衛部」という仰々しい名前の部は、実質は何もしない部、帰宅部と大差ないというので納得だ。
 たまに本当に地球を守るような活動もしているとかなんとか、以前電話したときに言っていた気がするが、正直あまり覚えていない。後日深く聞こうと思ったら「そんな話したっけ」と言われたので、もしかしたら寝ぼけていたのかもしれない。電話するのはたいてい寝る前なので、長電話になるとたまに意識を飛ばしてしまうことがあった。
 巴映はといえば今すれ違った面々にはあまり興味を惹かれなかったようで、近くの校舎を見上げていた。窓辺に誰かいないか探しているのだろう。
「にしても、水くさいよね。あの蔵王くんと知り合いなんてさぁ」
 拗ねたように漏らす巴映に、少し後ろめたさを感じる。わざと隠し続けていたわけではないけれど、今朝はちょっと、話すのは面倒だなと思ってしまった。それが後からあんなことになるとは、思いもしなかったのだ。
「話すタイミングがなかっただけだよ。巴映だって深く聞いてこなかったでしょ?」
「だって、あの蔵王くんが知り合いなんて思わないよ! の知り合いっていったら、いかついマッチョばっかりだし」
「まあ、それはそう、かな」
 大方そんなところだろうと当たりを付けていたが、はっきり言われるとちょっと苦笑してしまう。いかついマッチョと言い捨てられてしまった私の知り合い、もといお父さんの門下生たちがこの言葉を聞いたらさぞ落胆することだろう。
 それにしても、あの蔵王くんとは。学外にまで名を馳せるあいつの行動力にはほとほと感心する。
 共学だった中学とは違って、今の蔵王が通うのは男子校だ。眉難高校生にとって最も身近な女子は眉女高生になるので、うちの生徒に知れ渡っているのは当然といえば当然なのだが、それにしても、である。
「でもさ、蔵王と知り合いなんてクラスに何人もいるでしょ。あいつ、すぐ女の子に声かけてデートするし。てか、中学の頃からずっとそんなだったよ、蔵王って。あの頃はよく先輩と揉めたりしてたっけ……。最近は減ったらしいけどね」
「そりゃあ、デートしたことある子はいっぱいいるよ? でもさ、友達ってなると、なんか違うよ。蔵王くんって基本的に一回デートしたらしばらく会えないでしょ? 特定の彼女作ったりもしないって聞いたし」
「一日一緒にいると満足しちゃうって話は聞いたことあるな。次の日には他の子で満たされたいし、より多くの女の子を満たしてあげたい、とかなんとか……」
「それってさぁ、アイドルみたいじゃない? いっぱいファンが欲しいアイドル」
 真っ先にそれを出すあたり、アイドルオタクを自称する彼女らしい喩えだ。アイドルについては門外漢なので、素直に相槌をうって続きを促す。ちらりと巴映を見てみると、やけに真剣な横顔があった。
「言ってみたら、蔵王くんとデートしたことあるってのは、アイドルのコンサートに行ったことがある、みたいなもんでさ。せいぜいが握手会? どっちにしろお金払って、こっちから会いに行くでしょ。でも、のはちゃんとした知り合いっぽいよ。楽屋まで挨拶にいけちゃって、オフの顔も知ってるって感じ」
「その喩えだと、私はコンサートに行ったことはないなぁ」
「関係者席はまだゲットならずか~……」
 巴映は顎に手を当てて、考え込むように唸っている。何をそんなに思案しているのか、声をかけようとする前に巴映が再び口を開いた。
「私、実はあるんだよね。蔵王くんとデート。一回だけ」
「えっ」
 思わず足が止まって転びそうになった。後ろを歩いていた子に大丈夫かと声をかけられる。それになおざりに返事して、巴映を見つめた。
「あんなカッコいい人に声かけられたの初めてだったし、噂も聞いてたから、遊びに行ったのは興味本位だったんだけどさ。最初は舞い上がっててあんまり覚えてないんだけど、だんだん冷静になってきて」
 一度巴映はそこで言葉を切った。次にどんな言葉が飛び出すのか、息を呑んで、――出てきたものの予想外さに、また転びかけた。
「蔵王くんは、アイドルなんだなって思ったの」
「……はあ」
 気の抜けた声しか出せずにいると、巴映がぱっとこちらを向く。真剣そのものといった表情がそこにあって、なおさら私は混乱してしまった。なぜ突然その結論に飛んだのか、というか、そんなに真面目な顔でするような話題であるのか、私にはさっぱりわからなかった。
「アイドルだよ、アイドル。蔵王くんのデートっていうのは、言わばファンサービスなんだよ。気付いたらデート代はほとんど私もちだったけど、全然損した気持ちにならなかったし、なんなら機会があればまた会いたいなーって。完全に次の推しのライブを待望する気持ちっていうのかな……。ってにはよくわかんないかもしれないけど」
「う、うん……」
 正直まったく分からないが、巴映にとって蔵王とのデートがプラスの印象で終わったということだけは理解できた。
「昔から遊び歩いてるって噂だし、デートしたって子も数え切れないくらいいるのに、悪い人じゃないって話もあって、……すっごい不思議な存在だったんだよね。普通に考えたら、毎回一緒にいる女が違うしデート代貢がせる男なんて、女の敵って言われそうなもんじゃない? でも、そうじゃない。あれはアイドルなんだよね。そう思うと全部しっくりくるんだよ。アイドルだからこっちがお金を払うし、ファンは多ければ多い方がいい。遊ぶその瞬間は全力で楽しむけど、恋愛とか結婚とかって意味では本気になるものじゃないわけよ」
 蔵王立はアイドルである、という巴映の分析とその発表は、そこで締めくくられた。アイドルをこよなく愛する巴映ならではの視点は、私にとって少々難解だったが、巴映が蔵王のことを好意的に思ってくれていることは双方の友達として嬉しいし、危惧していたような巴映の暴走スイッチが入らなかったことは非常に喜ばしい。
 それにしても、まさか蔵王とのデート経験者がこんな身近にいたとは驚きだ。巴映はそういったことがあれば自分から話すと思っていた。高校に入ってからの付き合いではあるが、巴映のことはだいぶわかってきたと思っていただけに衝撃が大きい。
 いったいいつ、巴映は蔵王と出会ったんだろう。今までの巴映を思い返してみても、それらしい素振りはまったくなかった。うまく理由をつけられていたから記憶に残らなかったのかもしれない。
 巴映と蔵王は会ってどんな話をしたんだろう。その時の蔵王はどんな様子で、どんな表情で。
 私の頭の中の蔵王立は、中学の頃のまま姿を変えていない。電話はするので声だけは少し大人びた。きっと見た目も少しは大人っぽくなっているだろう。背は私とあまり変わらなかったけど、男子の成長期は女子よりも遅いから今頃私よりもだいぶ高くなっているはずだ。見た目に気を使うやつだったから、中学より校則が緩い高校では髪型も派手になっていそうだ。
 はっきりした像を結ばない現在の蔵王の想像図の隣に、ふっと巴映の姿が並んだ。二人は腕を組み、遠くへ歩き去っていく。
 ――あるんだよね。蔵王くんとデート。
 ――また会いたいな。
 先程の巴映の言葉がふと蘇って、ずきんと胸を刺した。蔵王と巴映の並ぶ姿を考えただけで痛みが酷くなっていく。どうして痛むのか、わけが分からずに首をひねっていると、巴映がぽんと肩を叩いた。
「もし関係者席に呼ばれることがあったら教えてよね。アイドルのオフの姿、超気になるし!」
 にこっと笑った巴映は、あくまで蔵王をアイドルとして捉えているようで、彼氏探しのターゲットからは除外しているらしい。そのことになぜだかほっとしながら、頭の隅で関係者席に呼ばれる自分――つまり、私と蔵王が並ぶ様を考えてみる。
 それがどうにも気恥ずかしくて、「何なのそのたとえ、よくわかんないよ」と軽くかわしておくことにした。
「こちらが空手部の部室です。皆さんは隣の部屋を使用してください」
 最初に兄が指し示していたのは部室棟だったらしい。ずらりと同じ形の扉が並ぶ建物の前で説明を受ける。扉には真新しい「眉女高校空手部」という札がかけられていた。うちの部室よりも広そうだが、長く使われていなかったのか少し埃っぽい。
 着替えの前にトイレを済ませておこうと部室を出ると、ちょうど兄の背が見えた。追いかけて声をかける。
「おお、か。どうした、何かあったか」
「トイレってどこ借りたらいい?」
「女子トイレは職員室の近くにしかないな。俺も一度戻るから一緒に行くか」
 連れだって歩きながら、眉難の選手の説明を一通り聞いた。何人か特に優秀な選手がいるようで、手合わせが今から楽しみだった。
「そういえば、今朝電車で眉難の生徒に会ったんだけど」
 記憶が薄れないうちにと切り出す。彼の手がかりが見た目くらいしかないので、ちゃんと覚えているうちに話しておきたかった。
「ん、それがどうかしたのか」
「ちょっといろいろあって。よくしてもらったからお礼が言いたかったんだけど、名前聞きそびれちゃったんだ」
「いろいろ?」
 別に濁すことでもないが、深く説明するには理由が少し気まずい。大したことではないと返すと、兄はそれ以上追求してこなかった。
「多分二年生だと思うんだけど、落ち着いた大人っぽい感じで、背は兄よりちょっと低いかな。前髪が眉のあたりで揃ってて、短いおかっぱみたいな頭してた」
「うーん……俺の知る限りだと鳴子かな? 俺の受け持ちは二年生が多いし、二年生なら鳴子で間違いないだろうな。学年はちゃんと聞けたのか?」
「いや、雰囲気で同じ学年かなって思っただけ」
「そうか。まあ次の授業にでも鳴子に声かけてみるよ。別人だったらその時はその時だ。……お、着いたぞ」
 職員室と書かれたプレートの手前に二つ扉がある。職員室のすぐ隣が男子トイレ、もうひとつ手前が女子トイレだ。
「ありがとう。それじゃ、また後でね」
「おう。道に迷ったら近くの人に聞くんだぞ」
「大丈夫だよ、子供じゃないんだから」
 少し年が離れているせいか、兄は時々こうして私を子供扱いする。くすぐったい気持ちで言い返すと、兄は笑ってぽんぽんと頭を撫でてから職員室へ入っていった。



Up:2016.09.23