好奇心の獣



 駅の正面改札から真っ直ぐ温泉街を抜け、長い長い階段を登った先に、眉難高校はある。眉女高校は改札を左手に折れるので、西口改札を使う方が近道だ。
 駅に着くと、約束通り先ほどの彼が起こしてくれた。眠りにつく前の気分の悪さが嘘のように吹き飛んでいる。ほっと息を吐きながら立ち上がると、彼が私の顔をじっと見つめた。
「顔色が良くなりましたね。歩けそうですか?」
「はい、おかげさまで。……ありがとうございました」
 端正な顔で見つめられると、少々照れくさい。そんな気持ちもあってぺこりと頭を下げる。
「いえいえ。フェミニストな友人がいるもので、少々影響されたようです。まあ、たまには悪くありませんね」
 慣れないことをしたというわりに行動はいたってスマートだったように思う。言い訳みたいに友人の話を出したけど、きっと元から優しい人なんだろう。
「ところで、駅から学校へは歩きですか。確かバスもあったと思いますが」
「いつも歩きです。同じ部活の友達と待ち合わせしてて」
「ご友人が一緒なら安心ですね。改札までお送りましょう」
「でも、遠回りじゃないですか?」
「今日はたまたま早めの電車に乗っただけで、時間には余裕がありますから。気にしないでください」
 ここまでしてもらうのは申し訳ないけれど、ここまで言ってもらって断るのも失礼かもしれない。ありがたくお願いすることにして、人の減ったホームを歩き出した。

 改札を抜けた先の売店で、同じ部活の巴映ともえといつも待ち合わせしている。私たちが改札を出ると、ちょうど巴映も売店前に着いたところのようで、スマホから顔を上げた巴映と目が合った。一瞬いつものように笑顔を浮かべかけて、すぐに戸惑った表情で私とその隣を交互に見つめる。
「あちらがご友人ですか?」
 親切な彼も視線に気付いたらしい。はい、と頷くと、それなら安心ですねと微笑む。
「では私はこの辺で。お大事にしてください」
「はい。本当にありがとうございました」
 頭を下げると、彼は軽く会釈して温泉街の通りの方へ歩いていった。彼の姿が人混みに紛れると、それまで少し離れたまま様子を伺っていた巴映が飛びつくようにして駆け寄ってくる。
「どーしたの、あれ眉難の人だよね、あんな知り合いいた? しかも結構レベル高くない? てかおはよ!」
「おはよう。挨拶が最後って、順番逆じゃない?」
「だって気になるでしょ! どーゆーことなの、教えてよ!」
「電車の中でちょっと気分悪くなっちゃってさ。さっきの人がたまたま近くに座ってて、席替わってもらったの」
「なーんだそれだけ……って、え、まじ? 具合悪いの?」
 それまで好奇心一色だった巴映の表情がさっと曇る。安心させるように笑って首を振った。
「今はもう大丈夫だよ。さっきの人のおかげ。ちょっと寝たし」
「そう……? 無理しないでよ」
「ほんとにもう平気だよ。今日はちょっとそういう日だからさ、多分そのせいかな」
 軽く濁して言えば、ああ、と納得したように巴映が頷く。
「また具合悪くなったら言いなよ」
「ありがと」
 ホッと安堵の笑みを浮かべた巴映は、それからすぐに先ほどの好奇の色を取り戻すと、私を軽く肘で小突いた。
「で、さっきの人、名前は? 先輩かな? 連絡先聞いた?」
「あ……そういえば、何も」
 いろいろよくしてもらったのに、名前すら聞きそびれてしまった。これではきちんとお礼をすることも出来ない。思わず彼が歩き去った方へ視線を走らせてみたが、当然姿は見えなかった。
「もー、ダメじゃん! あんっなイケメンに優しくしてもらったのに!」
「えぇ、気にするのって顔?」
「とーぜんでしょ! 顔は大事よ!」
 巴映はアイドル好きで面食いだ。私も彼女が追いかけているアイドルのCDを何枚か借りたことがある。曲は明るく元気が出るものが多いので試合前に聞くのに重宝しているけれど、正直メンバーの顔と名前はぼんやりとしか分かっていない。
「そうかなあ。私はやっぱり、強い人が良いな」
の言う強い人って、めちゃくちゃハードル高くない?」
「別に空手が強けりゃいいってわけじゃないよ? それはそれで会ってみたいけど」
「会ってどーするの?」
「もちろん手合わせしてもらうんだよ。間近で強さを見なくちゃもったいないでしょ」
「……前から思ってたけどさ、って相当に空手バカだよね」
 あーあ、私たちジョシコーセーなのにさあ。呆れたように肩をすくめてから、巴映は「あっ!」と大きな声を上げた。
「やっばい、そろそろ行こう。さすがにここで喋りすぎた気がする」
 手元のスマホで時間を確認すると、そろそろ次の電車が来る頃だった。朝といえど、そう本数の多くないローカル駅だ。かなり立ち話に時間を使ってしまったらしい。
「せっかく今年から一本早めたのに、また朝練ギリギリだ!」
「うわ、ほんとだ! 急がなきゃ」
「続きは歩きながら……いや、早歩きしながらね!」
 ほとんど駆け出すような勢いの巴映に私も続いた。駅舎を出ると強い日差しが肌を刺す。五月も末の空はもう、半分夏の顔をしていた。
「そういえば今日、眉難高校と合同練だったよね。運が良ければさっきの人、また会えるんじゃない?」
「空手部ならいいけど、文化部っぽかったよ」
「ちょうど帰るときにばったり、とかさ! それにほら、眉難に中学の友達いるんでしょ? その人に聞いたらいいじゃん」
「ああ。顔広そうだし、あいつなら知ってるかも。それでダメならお兄ちゃんに聞いてみるよ」
「そっか、のお兄ちゃん、眉難の先生なんだっけ。だったらもう会えるって決まったようなもんでしょ。なんかあったら、絶対教えてよね!」
 やけに語気を強める巴映に首を傾げる。
「なんかって何?」
 聞き返せば、巴映は分かりきったことをとでも言いたげに続けた。
「そりゃあ、付き合うとか付き合うとか、付き合うとか! ついでにイケメンの友達を紹介してもらえたらすっごい感謝! もう毎日プリンおごっちゃう!」
「空手部でイケメン探しするって言ってなかった?」
「まずは小手調べって意味で言っただけ。でもあんなハイレベルなイケメンがいるってわかったら、空手部だけなんて小さいこと言ってらんないよ!」
「イケメンっていえば、先月の美男子コンテスト、上位は生徒会が占めてたって聞いたよ」
「そうなの? じゃあ獲物は生徒会だ!」
 獲物とはなんとも物騒な。
 試合前よりもなんだかぎらぎらした様子の巴映に、私はちょっと気圧されてしまった。

 私の友達が生徒会の一人と同率三位だったと言ったら、巴映はどんな顔をするだろうか。きっと今よりも興奮しまくって面倒なことになりそうだ。多分、アイドルの話をする時と似たようなテンションになるんだろう。正直ああいった時の彼女は少しだけ苦手だ。
 ……巴映には悪いけど、しばらくこのことは黙っておこう。
 眉女高校から眉難高校に向かうには、裏門から山沿いの坂を登っていくのが近道だ。少し傾斜が強いが、十分程度であちらの裏門に着ける。今日は初回ということで、一度全員で集まってから行く予定だ。
 帰り支度を済ませて教室を出ると、ちょうど隣の教室から巴映が出てくるところだった。
「お疲れ。体調どう?」
「元気だよ。体育も調子よかったし、お昼も残さなかったしね。部活もちゃんと出るつもり」
「そっか! 顔色良いし、大丈夫そうだね」
 満足そうに頷くと、巴映はくるりと背後の窓を振り返った。ちょうどこの廊下からは裏門を遠目に見下ろせる。私も巴映と並んで窓辺に寄った。
「まだ誰も集まってないみたい。……あ、先生見っけ」
「後ろ歩いてるの、一年生かな?」
「そーかも。私らもさっさと行くかあ」
 巴映に頷きを返して歩き出す。
 途中で他のクラスの部員とも合流して、ぞろぞろと集合場所である裏門に向かった。

 私たちが裏門に着くと、すでに半分ほど集まっていた。まだ来ていないのは日直などの用事がある子たちらしい。
 暇潰しに喋りつつ、時間を確認しようとスマホを取り出すと、メッセージの着信を知らせるランプが点滅している。通知欄からアプリを開いて確認すると、一つは兄から、もう一つは眉難へ進学した友達からだった。
 兄からはこちらが学校を出るときに連絡してほしいと来ていた。簡単にスタンプで済ませてページを閉じ、友達からのメッセージを開く。数日前から続いている雑談の続きと今日の確認だ。返信を打ち込んでいると、巴映たちがひょっこりと顔をのぞき込んできた。
「お、どーしたのちゃん、なんか顔が乙女じゃなーい?」
「なになに、誰から連絡来たの?」
「彼氏、彼氏ぃ?」
 さながら獲物を見つけた動物のように、みんなの目は好奇に光っている。女子の会話の大半は恋愛絡みだと高校に入ってから学んだものの、自分が話題の中心に据えられてしまうことにはまだまだ慣れない。
「友達からだよ、眉難にいるやつ。巴映には言ったことあったでしょ。今日行くから、時間合えば会おうって話してたの」
 なんでもない雑談ばかりが並ぶ画面を見せると、なーんだ、と離れていく。しかし巴映だけは違った。
「でもさ、な~んか表情がいつもと違ってない?」
 じっと探るように私の顔を見つめる巴映に、思わず一歩後ずさる。やましいことは何もないのに、なんだか気圧されてしまった。
「そ、そうかな?」
「そーよ! 他のみんなは騙せたって私は騙せないよ! 恋の匂いには誰よりも敏感だから!」
 はたして恋に匂いはあるのだろうか。自分でもズレたことを考えているなと感じながらも、内心で首を傾げる。
「あ、もしかして朝の人、誰かわかったの?」
 朝の人、という意味深な言葉に、さっき離れていった子たちがまた戻ってきてしまった。
 ……少し、厄介なことになってきた。どうやってかわそうか頭を巡らせると、タイミング良く先生の声が飛んでくる。どうやら全員集まったらしい。
「先生呼んでるし、この話は後ね」
 強引に切り上げてスマホをしまうと、少し不満げながらも皆黙って先生の近くに並んだ。

 軽い注意事項と、部長の挨拶が終わって出発となった。兄にメッセージを入れて歩き出すと、待ってましたとばかりに先ほどのメンバーに両脇を固められる。獲物を前にした空腹の獣のような勢いに、ちょっと逃げてしまいたくなった。助けを求めるように視線をさまよわせてみたが、誰も彼も自分のお喋りに夢中のようだった。
「それで、朝の人って何? てか眉難に友達いたの、教えてくれれば良かったのに!」
「イケメン? 何部? 彼女もち?」
「まあまあ、朝の人のことは私が説明するから」
 巴映が仕切るように言うと、質問責めしていた子たちの視線がそちらに流れる。巴映のことだからちょっと盛って話すのだろうけど、彼女は私よりも話し上手だ。訂正すべきところだけ口を挟めばいいだろうと、任せることにする。
 巴映は売店の前で私を待っていたところから話し始め、私が眉難の男子と親しげに歩いてきたこと、それがいかに衝撃的であったか、そして現れた男子の目を見張るようなかっこよさと、私の救世主であること、見目だけでなく心根まで美しい彼の素晴らしさを熱心に語った。まるで巴映自身が彼に助けてもらったような臨場感だった。
「何それいいなぁ! うらやましい!」
「私もイケメンに助けられた~い!」
「ねえねえ、今日会う友達はどうなの? イケメン? かっこいい系? かわいい系?」
 両側から揺さぶられるようにまくし立てられる。朝の気分の悪さがぶり返しそうな激しさだ。
「答えるから、ちょっと苦しい」
 思わず身をよじると、両側の拘束が少しだけ緩められた。出来れば離してほしかったが、おそらく無理だろう。
「今日会う友達も、多分、イケてる方……だと思う」
 多分ではなく確実にイケてる部類に入ることは分かり切っていたのだが、この熱の上がりきったところに投下するのはかなり気が引けた。とはいえ、いかに自然に切り出そうとどうにもならないだろう。この手の話に疎い私でも、それだけは理解できる。
 今までわざと名前を伏せてきたというわけではない。昔から空手漬けである私の知り合いの男性といえば、体格の良い体育会系ばかりだった。眉難の友達というのもそっち方面だろうと、深く聞かれることがなかったのだと思う。
「え、まじ? 名前は!?」
 引っ張ったところで何が変わるわけでもない。一呼吸ついてから意を決した。
「……蔵王。蔵王立」
 言った瞬間、私たちの周りだけ時が止まったようだった。
 巴映には友達について詳細は伏せておこう――そんなことを考えていた今日の朝が、急に遠く感じられた。



Up:2016.07.13
Last Up:2016.09.23)