シークレットナンバー

「あっ、いずみん先輩スマホ置いてってるじゃん」
 ソファ席の端に転がるそれを見つけたのは、ドリンクのおかわりとともに戻ってきた緑川だった。
 コーラの入ったグラスを米屋の前に置き、対面に自分のオレンジジュースを置くと、シリコン製のカバーが掛けられたスマートフォンに手を伸ばす。腰を下ろしながらそれを両手で持ち直すと、緑川は躊躇いなく電源ボタンを押した。
「あーっ、やっぱ先輩の写真だ!」
「こらこら、なにやってんだよ」
 そう言って緑川の手から取り上げた米屋だったが――彼もまた、カチリと電源ボタンを押していた。非難の声を上げる緑川を無視してロック画面を確認した米屋は、「ほんとだ、あいつ分かりやすいな~」とからかうように笑う。緑川はむすっと口を尖らせながら、米屋の手からスマートフォンを奪い返した。
「よねやん先輩だって見てんじゃん」
「オレはいーんだよ。前に見たことあるし」
「え、そーなの? いつ?」
「一年くらい前じゃねーかな。その時も、同じの寝顔だったぜ」
 ニヤッと笑う米屋に、緑川はうわーっと弾んだ声を上げた。
「じゃあさじゃあさ、その頃から先輩のこと好きだったってこと?」
「どーだろなー。そのへんは本人に聞けよ」
「えーっ、絶対答えてくんないよ。だって先輩も知らないって言ってたし」
には聞いたのかよ」
 米屋は呆れたように笑いながら、テーブルに頬杖をついた。
「そりゃ気になるじゃん、あの二人だもん」
「まーな。あの二人だからなあ」
 これまでに「出水とが付き合っているらしい」という噂が流れたことは何度もあった。噂の発生源はほとんどがC級隊員で、二人が親密な幼馴染であることを知らない者の勘違いである。出水はA級一位チーム所属、はA級隊員でありながら単独攻撃手ソロアタッカー――そんな肩書や物珍しさから、ボーダーに入ったばかりの子供たちに適当な話題として消費されるのだ。
 だからあの時も、緑川はもちろん米屋も半信半疑だった。
 二人きりで歩いてた、手を繋いでいた、腕を組んでいた、ショッピングモールで、映画館で、遊園地で――これまでに様々な噂が飛び交ったが、どれも「ただ二人が仲良く出掛けていた」だけだった。はぐれそうになったから手を繋いだだけ、行きたい店を見つけたが腕を掴んだだけ、等々。
 今回もどうせ、そういうオチだろう。軽い気持ちで米屋が話の続きを促せば、同じクラスのC級隊員に聞いたという緑川は、興奮気味にこう答えた。
『いずみん先輩と先輩、キス、してたって!』
 勘違い、見間違い、人違い。様々な可能性が米屋の頭の中を一巡りして――緑川の言葉を、反芻する。出水たちが、キス、していた。しかもC級隊員の誰かに見られるような場所で。
『あいつ、……バカか?』
 真っ先に米屋の口をついて出たのは、あまりにも迂闊な友人へのツッコミだった。
「ねーっ、よねやん先輩、聞いてる?」
 ぺしぺし、と軽くテーブルを叩く音で、米屋は我に返った。目の前では緑川が不機嫌そうに目を吊り上げている。「悪い、聞いてない」と素直に返せば、緑川は盛大な溜息とともにスマートフォンを示した。
「だからー、ホーム画面、気にならない?」
「んなの、どうせだろ」
「そりゃそーだけど、どういう写真かってこと。すんごい加工してる二人の自撮りとかかもしんないじゃん」
「うわ、それすげー見てえ」
 緑川は得意げに「でしょ!」と笑うと、さっそく電源ボタンを押してロック画面を出した。指紋認証は当然失敗し、すぐにナンバー入力画面に移行する。
先輩の誕生日、いつだっけ?」
「いきなりそれかよ。さすがに単純すぎんだろ」
「だーって彼女の写真がロック画面なんだよ? じゅーぶん単純だって」
 中学三年生になったとはいえ、まだまだ幼さの抜けない緑川に「単純」と切り捨てられていたと知れば、出水はどんな顔をするだろう。米屋はくく、と喉の奥で笑いながら「ちょっと待ってろ」と自分のスマートフォンを開いた。
「確かあいつ、ゴールデンウィークの近くだったよな」
「あ、そーかも。五月の……」
「七日だ」
「おっけー。じゃあ、ぜろ、ごー、ぜろ、なな、っと」
 口に出しながら打ち込んで、――緑川は、むっと眉を寄せた。
「さすがに単純じゃなかったか?」
「そーみたい……。じゃあいずみん先輩の誕生日!」
「いや絶対ねーって」
「わかんないじゃん」
「わーった、わーった、九月の二十一だってよ」
 再び米屋が調べ、緑川が打ち込んでいく。ぜろ、きゅう、に、いち。しかし、またしてもロックは解除されなかった。
「これも違うの~? 絶対そうだと思ったのに」
「案外初期設定のままだったりしてな」
「え~、それこそ単純じゃん」
「考えんのめんどくせーから、とか言いそうじゃん」
 緑川は確かに、と思った。あえて初期のままなんだよ、なんてもっともらしいことを言う出水の姿も、容易に想像がつく。
 しかし散々自分の発想を「単純」と笑われ、なおかつ尽く失敗してきた手前、聞き入れるのは妙に悔しい。緑川は、あくまでおれは納得してません、という顔を作って「はいはい、わかったよ」と雑に返した。
「デフォルトって一、二、三、四、だっけ?」
「そうそう」
 緑川の指が数字の上をタップしていく。……外れちゃえばいいのに。そんな緑川の思いが伝わったのか、またしてもロックは解除されなかった。
「ほら、やっぱ違うじゃん!」
「まじか~、イイ線いってると思ったんだけどなー」
 ほら、やっぱね。内心で胸を撫で下ろしつつも、緑川は困っていた。もう他に案がないのだ。あまり失敗するとロックが解除できなくなるし、そろそろ慎重に行かなければならない。すでに三回失敗しているので、あと試せるのも三回だ。
「――それ、公平のじゃないの?」
 少々棘のある声に顔を上げれば、トリオン体のままのが二人のテーブルの前に立っていた。胡乱げな眼差しが緑川の手元に刺さっている。いたずら真っ最中だと、ひと目で看過したらしい。
「さっきあいつ財布取りに行ってさ、置いてっちまったんだよ」
「だからって、なにしてるの」
「いずみん先輩のホーム画面見たことある?」
「公平の? ないけど……まさか、それ見るために開けようとしてるの?」
 人のものを勝手に開けようとするなんて。非難がましい目を二人に向けながら、は緑川の隣に座った。緑川の手からスマートフォンを取り上げようとするに先んじて、米屋がひょいと奪い取る。米屋は「オレに任せろ」と言うように目で笑った。
は気になんねーの?」
「そりゃ、気にはなるけど。あとで本人に見せてもらえばいいもん」
「オレは見せてくんねーと思うけど」
「嫌がるなら無理に見ないよ」
 頑ななに、しかし米屋はにんまりと口の端を吊り上げる。何事か企んでいるようなその笑みに、は警戒したように「……なに?」と尋ねた。
「ロック画面、一年前と変わってなかったぜ」
「……は?」
「お前が早く消せって言ってたやつ」
「うそっっ」
 は素早く米屋の手から出水のスマートフォンをひったくると――米屋もそれを狙っていたようにあっさりと手放した――一瞬、躊躇いを見せてから電源ボタンを押下した。そして、怒りと羞恥に目を見開く。
「ちょっと、これ二人も見たってこと!? もーっなんで消してないのっ!」
「そりゃーいずみん先輩のお気に入りなんじゃない?」
「ホーム画面もお前の恥ずかしー写真だったりして」
「多分先輩が消してって言ったやつ、全部残ってるよ~」
「あー、あいつ結構ムッツリだかんな」
 好奇心の獣と化した二人の好き勝手な言い分に、の理性はぐらぐらと揺れ始めた。家族同然に育った幼馴染と言えど、そして恋人と言えど、侵してはならない領域というものは必ずある。しかし――しかし、先に約束を破ったのは出水の方だ。それなら、あの画像を消すだけなら、いいのではないだろうか?
 の気持ちが傾きかけているのを見て取った米屋は、ダメ押しとばかりに宣った。
「エロい写真とか、溜め込んでたりしてな~」
 ぷつり。の中でなにかが焼き切れる音が、二人の悪戯少年には確かにきこえた。

「二人の誕生日と、デフォルトの数字は入れてみたんだよね」
「他になんか心当たりとかある?」
「うーん、公平のことだから、めんどくさがってスマホもらった日とかにしてるんじゃないかな」
「あー……でもそんなの分かる? おれ自分のも覚えてないよ」
 肩を落とす緑川に、はにこりと笑ってみせた。
「これボーダーの支給品だから、B級に昇格した日だよ。二人でお祝いしたから覚えてる」
 迷いなく数字を打ち込み始めたに、米屋と緑川は「おーっ」と感嘆の声を上げた。さすが幼馴染と言ったところか、発想の引き出しがそもそも違う。
「どうどう?」
「ごめん……違ったみたい」
「まじかーっ、あと二回、なんかねえかな」
 がしがしと米屋が頭を掻いて、緑川が焦りの声を上げる。
「早くしないといずみん先輩戻ってきちゃうよ」
「緑川、足止めして来い」
「やだよ、よねやん先輩が行ってよ」
 二人の言い合いを聞き流しながら、はじっとスマートフォンを見つめた。電源ボタンを入れれば、教室の机で眠る自分の姿がある。去年の夏頃、夜勤明けでうとうとしていたところをこっそり撮られたものだ。頬杖をついているせいで頬の輪郭がぺちゃりと潰れ、窓から入る風に前髪も乱され、一言で言えば「盛れてない」写真である。よりにもよってこんなものをロック画面にしなくていいのに、とは眉間に眉を寄せた。
 出水のスマートフォンで自撮りをした時にたまたま目にして、「すぐに消して!」と怒ったのが一年程前のこと。当時はまだ、ただの幼馴染だった。当時のは出水への気持ちを自覚すらしていなかったから、一年後の今、出水と恋人になっていると聞けばさぞ驚くことだろう。
 では出水は、どうだったのだろう。あの時は「おもしれー顔してるから」とけらけら笑う出水の言葉を疑わなかった。「ほら、ちゃんと消したぞ」と無難な景色の写真に差し替えられたロック画面に、ほっと胸を撫で下ろした。しかし出水は写真を消さず、ほとぼりが冷めてからまたあの写真に戻したのだ。
 ――いずみん先輩のお気に入りなんじゃない?
 からかうような緑川の言葉を思い出し、頬が熱くなる。にとっては可愛くないしむしろ恥ずかしい写真が、出水にとってはわざわざいつも目にするところに置きたいものなのだとしたら。出水は自分の想像以上に、自分のことが好きなのかもしれない――。
 自分で考えるにはかなり恥ずかしすぎる発想に、はぶんぶんと首を振った。それから、再び電源ボタンを押し込む。もし仮に、さっきの恥ずかしすぎる発想が、そう的外れではないのだとしたら。とりあえず、一応試すだけだ。こっそり試して、間違っていたら黙っていよう。
 それにどうせ、他になにも思いつかなかった。だから試してみるだけ。それだけ。誕生日ではないのなら、二人にまつわる日付は、あとひとつしか浮かばない。
 そっと息を詰め、は四つの数字をタップする。
「……開いた」
「えっっ」
「まじか!」
 がばっと二人が振り向き、我先にと身を乗り出す。そこには確かに、アプリのアイコンがずらりと並ぶホーム画面が表示されていた。そして登録されている画像は、紫の大きなリボンがついたカチューシャを付け、心から楽しそうな笑みを浮かべるだ。
「やっぱりこっちも先輩か~」
「この前ランド行ったって言ってたけどそれか?」
「うん。お城の前で撮ったの。ちゃんと二人でも撮ったのにな」
「いーじゃん、この先輩かわいいよ」
「そう? ありがと!」
 はなんとも嬉しそうに白い歯をこぼして笑った。ロック画面もこういうの選んでくれればいいのに。文句を言いながらも、やっぱり表情は幸せそうに緩んでいる。その笑顔が明るいのは、緑川に褒められたから、だけではない。よく撮れている写真が選ばれたから、だけでもない。
「ねえねえ、結局ナンバーはなんだったの?」
 興味津々、目を輝かせる緑川に、は悪戯っぽい笑みで返した。
「ないしょ!」
「えーっひどいよ! 教えてよー!」
「だーめ! みどりんイタズラするでしょ? これはこのままわたしが預かります」
 はきっぱりと言ってから、スマートフォンをライダースジャケットのポケットに仕舞い込み、きっちりファスナーを閉めてしまった。
「ずるいよ~、ねえヒント、ヒントは?」
「ヒントもなーし」
「よねやん先輩もなんか言ってよ!」
「オレはホーム画面見れたから満足」
「裏切り者~!」
 またじゃれ合いを始めた二人を横目に、は上機嫌にジャケットの上からスマートフォンを撫でる。ヒントだってなんだって、誰にも教えてあげる気はない。これは二人の、二人だけのヒミツだ。
 だから出水が戻ってきたら、彼にだけこっそり教えてあげよう。わたしも同じだよ、と。
 二人の秘密のナンバーは、二人の関係が一歩進んだ、記念の日だ。



Up:2019.07.20