おもしろいひと
足早に個人戦のフロアへやって来たは、ソファが並ぶスペースをぐるりと見渡した。
約束の時間から三十分も経ってしまった。ちらりと時計に視線をやってから、は遅刻の原因となった男の悪びれもしない顔を思い出して溜息を吐いた。まったく、と先程言い損ねてしまった文句を頭の中に並べていると、明るい少年の声が耳に飛び込んでくる。
「先輩、こっちこっち!」
振り向けば、ぶんぶんと元気よく手を振る緑川が目に入った。その屈託のなさに、険しくなっていたの表情もつい緩んでしまう。いつか米屋が彼を犬っころと称したことがあったが、人懐っこく可愛らしい緑川は確かに犬に似ている。は応じるように片手を上げてから、緑川の座るソファまで早足に向かった。
「ごめんね、みどりん。お待たせ。あの子は?」
「遊真先輩ならよねやん先輩に連れてかれちゃったよ。もう戻ってくると思うけどね。そっちはなんかあったの?」
緑川の隣に腰を下ろしながら、は深々と溜息を吐いた。
「それがねえ、次が冬島隊だったんだけど、当真さんが任務忘れて寝過ごしちゃってさ。引き継ぎに時間かかったの」
「あー、当真先輩ならやりそー」
「しかも『悪い悪い、ソファが俺を離さなくて』とか言っててさあ。それで理佐ちゃんがすごい怒るでしょ。こっちは文句言いそびれちゃった」
口を尖らせるに苦笑を返してから、緑川はブースの前に設置されているスクリーンを振り返った。その一角に米屋たちの戦績を見つけると、あっと声を上げる。
「よねやん先輩も負けちゃったかあ……。でもおれよりは勝ってるなー」
「みどりんも今日やったの?」
「うん、七本取られて負け」
溜息を吐きながら肩を落とす緑川に、は励ますように頭を軽く撫でてやった。
「じゃあわたしは、引き分けが目標ってとこかな」
「えーっ、そこは勝つって言わないの?」
「だってまだあっちの戦法、よく知らないもん」
緑川の不満そうな眼差しを受け流しながら、はこちらに向かってくる二人に手を振った。米屋と遊真だ。
「お疲れ~。今来たとこ?」
「うん。二人もお疲れ。遅れてごめんね」
「当真さんが寝坊したんだってさー」
「そういうことね。まあ、俺は先に遊んでもらえたし構わねーけど」
言いながら、米屋はチラリと遊真を見下ろした。遊真も気にしていないと言うように頷きを返す。玉狛第二の空閑といえば、ほとんどの隊員の注目の的だ。個人戦のフロアで暇を持て余すことはまず無い。
はいささかホッとしたように微笑むと、グローブを外して遊真に手を差し出した。
「はじめまして。本部所属A級隊員の、です。ポジションはきみと同じ攻撃手。よろしくね」
「これはどうも、ごていねいに。玉狛第二の空閑遊真です。遊真でいいよ」
「遊真くんね。戦えるの、すごく楽しみにしてたんだ。初対面でみどりんのこと、こてんぱんにしちゃったんでしょ?」
「先輩それ言っちゃう? ひどいなあ」
緑川がむすーっと眉を寄せると、はつんつんとその頬をつついた。
「悪いことはするもんじゃないねえ、みどりん?」
「も~っ、こりたってば!」
「別にいいよ。また『こてんぱん』にするだけだからな」
飄々と言ってのける遊真に、は楽しげに目を輝かせる。
「それじゃあさっそく、わたしとひと勝負、お願いしても良い?」
「こちらこそ。よろしくおねがいします」
一戦目、二人が降り立ったのは市街地の家屋の屋根の上だった。
最初に仕掛けたのはだ。遊真の背丈に合わせるように低く沈み、懐に突っ込んでいく。胸元を横に切り裂くように振り抜かれた弧月は、あと一歩のところで躱された。体勢を立て直す一瞬の隙を縫うように、今度は遊真のスコーピオンが繰り出される。二本のブレードをシールドで防いだは、腹のあたりを蹴り飛ばして遊真の体勢を崩しにかかった。
身軽な遊真の体は屋根の上をゴムボールのように転がっていく。すぐさま追いかけ弧月を振りかぶれば、仕返しとばかりに遊真が足払いをかけた。はふらついた体を腕一本で支え、そのまま片手でバク転する形で距離を取る。
睨み合いは一瞬だった。もう様子見は必要ない。
「誰か師匠についてるの?」
不意打ちを狙って腕から生やされたスコーピオンを弧月で叩き壊しながら、は今日の夕飯の献立を尋ねるような気軽さで言った。
「ボーダーに入ってからは、こなみ先輩とよく勝負してるよ」
「小南ちゃんかあ、どーりで強いわけだ」
てっきり迅自らスコーピオンの手ほどきをしてやっているのかと思っていたが、さすがにあのエリートもそこまで暇ではないらしい。それでも師匠が小南であれば、緑川相手に圧勝したというのも頷ける。
「だったらなおさら、油断できないね」
は首元を狙いに来た遊真のブレードを難なく躱しながら、手首を返して腕を切り落とす。続けざまに旋空を起動させて彼の胴体を真っ二つに切り裂いた。遊真の目がわずかに見開かれる。ごろんと瓦屋根に転がった遊真の上体を見下ろして、は静かに瞬きした。まず、一本。
――油断なんて、最初からしてないくせに。
体の感覚がトリオン体から抜け出していくのを感じながら、遊真はにやりと笑った。
「うわ~っっ、引き分けかぁ!」
「最初勝ったから行けると思ったのになー!」
「お前、自分がどうやって負けたか忘れたのか?」
「うっ……もうその話はやめてよ~」
勝負をした二人よりも盛り上がっている米屋と緑川に、は小さく苦笑した。二人の対面のソファに腰を下ろしながら、隣を遊真に勧める。
「結構強いね、先輩」
「遊真くんもね。モールクロー、風間さんがやるやつでしょ? どこで覚えたの?」
「もーるくろー?」
「地面に潜らせてブレード出すやつ」
がとん、と爪先で床を叩くと、遊真は合点がいったように頷いた。
「あれってそんな名前なのか」
「もぐらって知らない? 土の中に潜って生きてるの。モールはもぐらって意味なんだよ」
「へえ、先輩はものしりだな」
「そうそう、こう見えて成績は良いんだよな~、って」
いつの間にか飲み物を買いに行っていたらしい米屋は、と遊真にもそれぞれカップを手渡した。
「カフェオレでいい? つっても他はコーラしかねえけど」
「ぜーんぜんおっけー。ありがとね」
ありがたく受け取ってから、ははたと米屋を見つめた。
「ところで、『こう見えて』ってどういうことかな〜?」
「そりゃあ言葉通りじゃないの? だって先輩、あんまり頭良さそうに見えないもん」
あっけらかんと言いながら、緑川は自分で買ってきたサイダーに口をつける。
「ほほーう……言うねえ、みどりん」
の目が剣呑に細められるのを見た米屋は、そっと遊真に目配せした。何も言うなという意味である。遊真は黙って頷きを返した。
「それに、あんまり強そうにも見えないよねー。おれ、初めて先輩に会ったとき、てっきりオペレーターのひとだと思ったもん」
「あ、それはよく言われる」
そっちは気にならないんだ、と遊真は意外に思ったが、口にはしなかった。今まで出会った攻撃手のほとんど(ここにいる緑川や米屋を含めて)が好戦的な人間であったため、のこの反応は新鮮に映る。
「こないだC級の子にも噂されてたもん。『たまにフラフラしてる茶髪の先輩、入隊して長いのにまだチームが組めないらしいよ~』ってさ。……失礼しちゃうなあ」
「で、どうしたの?」
「別に、どうも。今フラフラしてるのは本当だし」
「バカにされて腹が立たないのか?」
遊真はつい口を挟んだ。彼女もまた、修に似た極度のお人好しなのだろうか。というかこの世界には修のような人種がごろごろいるのか?
彼女の噂をどうこうしてやる義理はないし、そのつもりもないけれど、近界からやってきた遊真にとって、修がこちらの標準であるのか否かの判断は早めに済ませておきたかったのだ。
はカフェオレを口に運びながら、うーん、と小首を傾げた。
「なんか言われてるなーとは思うけど、それだけなんだよね。だって普通、チームも組んでないのにこんなユニフォーム着てると思う?」
こんな、とが襟をつまんで見せたのは、黒のライダースジャケットだ。ボーダーのデフォルトの戦闘服がジャージを元にしたシンプルなデザインであるのに対して、が身に纏っているものは袖口や襟のラインなどに細やかなこだわりを感じさせる、かなりキメてるデザインである。――確かに。遊真は頷いた。
「ちょっと考えれば『あれ?』ってなるとこをそのまんまにしちゃう子は、どーせ上がってこないもん。ムキになってもしょーがないよ」
「でもさー、先輩、なんでかそういう噂多いよね。川崎隊が解散したのって夏でしょ? 半年も経ってないのに」
「C級は入れ替わり激しいし、A級とはあんまり接点ないからしょうがないんじゃない? チーム単位じゃないとA級に上がれないのはみんな知ってるだろうし、わたしがフリーなんて想像もつかないのかも」
「お前が否定しないから余計に広まってんじゃねーのか? このへんでバシッと言っとけば?」
米屋はカップに残った氷を噛み砕きながら言った。緑川も同意するように頷くが、は不満そうに口を尖らせる。
「えー、米屋まで言うの? わたし、おばかと弱い子には興味ないんだけどなあ」
「他にも言われてんの? 出水?」
「そーそー。あと光さんにも言われた。……でも、もうその必要もないかもね」
不思議そうに顔を見合わせる米屋と緑川に、はいたずらっぽく笑う。
「フラフラしてる謎の隊員には興味なくても、みんな遊真くんのことは気にしてるでしょ? A級のみどりんと米屋が負けた遊真くんに、わたしが引き分けたから……ちょっとは見直してもらえるかも?」
「おれとやりたかったの、そういう理由なのか?」
「まさか! 遊真くんに興味があったのは本当だよ。でも、結果的にそうなるかなーってだけ。……ごめんね、利用したみたいに聞こえちゃった?」
「――いや。先輩が嘘ついてないのはわかった。どうせなら、もう一回やるか? さっきよりも人増えてるし」
「あんまり誤解を解きたいって気持ちはないんだよねえ。それに、ほら。舐められてるほうが都合がいいこともあるでしょ?」
は意味ありげに微笑むと、同意を求めるように遊真へ視線を向けた。暗に緑川との一件を言っているのだろう。
どうやら修のような無頓着とは違うらしい。A級の、先輩。
ちょっと面白い人かもしれない。
「あ、でも付き合ってくれるなら喜んで! 強い人とやるのは楽しいからね」
は残りのカフェオレを一気に煽ると、にこっと笑った。
「じゃあ、きまりだな。おれも先輩とやるの、結構楽しいよ」
「ずりー! 俺だってまだ一回しかやってねーのに」
「ふふん、遊真くんからのご指名だもん。米屋は次ね、次」
「ちぇーっ」
機嫌よく立ち上がるを横目に、遊真も残りのカフェオレを飲み干した。
『楽しいことはたくさんあるさ』
いつか屋上で言われた言葉が、ふと蘇った。ここには強いやつがたくさんいる。そして、強いだけじゃない人も。
「……本当だな」
誰に言うともなしに呟いて、遊真も立ち上がった。
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