「悪いと思ってるならキスして」




「ご、ごめん……寝坊した……っ」
 ここまで全速力で走ってきたは、息も絶え絶えに頭を下げた。膝に手をついては肺の全部を使うような勢いで息をする。家が近いため支度が早く終わったほうが相手の家へ迎えに行くのがいつもの流れになっていたが、今日は出水がボーダー本部に用事があるというので待ち合わせ場所を変えたのだった。
「あと五分遅かったら家まで行ってた」
「ほんとにごめん……」
「つーか寝坊した時点で連絡しろよなー。心配すんだろ」
 走ったおかげで乱れに乱れたの髪を直してやりながら、出水は安堵したように笑った。
「全然頭になかった……時計見て急いで支度したから」
「何時に起きたの?」
「十分前」
「あー、そりゃ焦るな」
「……お昼出します」
 申し訳なさそうに視線を落とすを数拍じっと見つめてから、出水はいたずらっこのような笑みを浮かべた。
「昼飯代よりもやってほしーことがあるんだけど」
「やってほしいこと? いいよ、なに?」
 答えてから、は出水の表情を見てなんだか嫌な予感がした。しかし遅刻してしまった身として「やっぱりダメ」とも言えず、出水の言葉を待つしかない。
からキス、してよ」
「……な、えっ!?」
「悪いと思ってんなら、それぐらいしてくれてもいーだろ」
「ま、待って……いま? ここで?」
「いま、ここで」
 休日の駅前はそれなりに人通りも多く、周囲には二人と同様に待ち合わせ中らしき人影がいくつもある。だいたい地元も地元のこんな場所、誰が見ているかわからない。
「えーっと、他のことじゃだめ?」
「だめ」
 戸惑うを面白がるように、出水はにやにやと笑っている。そーいう顔するからさとけんに「やらしい」とか言われるんだぞ、と思ったが口には出さなかった。下手なことを言ってハードルを上げられたらたまったものではない。
 はそっと周囲をうかがった。幸い近くに知り合いの顔は見当たらないし、待ち人たちのほとんどが手元のスマホに目を落としているようでたちを見ている人は誰もいない。駅前で高校生がちょっといちゃついたところで、そう目立つことではないのかもしれない。
 うん、きっとそうだ、誰もわたしたちのことなんか気にしちゃいない。は自分に言い聞かせるようにしてうなずくと、意を決して出水の腕に手を添えた。手に汗が滲んでいることに気付いて、思わず出水の服の袖を握りしめる。はじめてキスしたときよりもずっと緊張している気がした。いつもは受け身ばかりだけれど、今回は自分からいかなくてはならない。その事実がの緊張を煽っている。どういうタイミングでいったらいいんだろう、いつ目を閉じるんだろう、勢い余ってぶつけてしまったりしないだろうか、公平もキスするときはこういうこと考えたりするのかな。どくどくと心臓が音を刻むたびに雑念と緊張が積み上がっていく。このまま心臓の音に呑まれて破裂するんじゃないだろうか、そんなことを考え出したとき、ふっと吹き出すような笑い声が頭上から降ってきた。
「おまえ、動揺しすぎ」
 しまいには声を上げて笑い出す出水を、はぽかんと見上げた。数度の瞬きのあとにからかわれたことに気付き、一気に脱力する。
「あのねえ……」
 さすがに文句の一つは言っても許されるだろう。むっと眉を寄せたの文句は、しかし飛び出すことはなかった。が散々悩んでいた数秒間がうそみたいに、出水の唇はあっさりとのそれを奪って、そして離れていった。
「え」
「さーて、そろそろ行こうぜ。次の電車もう来るだろ」
「ちょ……」
「なんだよ、もっとしてほしいとか? あとでな」
「ば、ばか!」
 照れと怒りで真っ赤な顔のの手をとって、出水は機嫌よく笑った。




Up:2018.05.22
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