カレンダー
「七種さ~ん!!」きんと凍り付くような冬の空気にはまるで似つかわしくない明るい声だった。振り向くまでもなく声の主には見当がついたが、名指しされては無視もできない。茨が足を止め声の方へ視線を向ければ、が嬉しそうにぱたぱたと駆け寄ってくるのが見える。まるで飼い主を見つけた子犬のような姿に、茨はふ、と笑みに似た息を吐いた。
「おはようございます、敬礼~☆」
「はい、おはようございます」
「今日は一段と冷えますね! 駐車場まで歩くのも寒くって、新しいダウンおろしちゃいました」
「いきなり冷え込みましたからね。非常にあたたかそうですが、それで運転を?」
白いダウンコートに身を包むは雪だるまみたいにまるまると膨れ上がっていた。いったいどれだけ着込んだのか、それともダウンが厚手なのか。その状態でよくハンドルを握れたものだと問えば、はゆるくかぶりを振った。
「運転中は脱ぎましたよ~? 車の中はあったかいし! でも、車を出たら寒くて寒くて……。やっぱりダウン持ってきて正解でした!」
声と共に漏れる息までもが真っ白に染まり、冬場の運転は慎重にと言い含める自分の息もやはりもうもうと白く立ち上る。ようやくビルに辿り着き自動ドアを潜れば、ビルを満たす暖気が冷え切った肌をじんわりと包み、どちらともなくほっと息を吐いていた。
「それにしても早いですね、さん。打ち合わせまで二時間はありますよ?」
エレベーターに乗り込みながら他愛のない話を投げかける。彼女のありあまる信仰には長らく手を焼かされていたが、最近になってようやく扱いが分かってきた。屈託のない全肯定が落ち着かないのは相変わらずだが、まあ、それなりの付き合いだ、受け流すのにも慣れてくる。それに、茨の心境の変化というものも確かにあった。
「今日から十二月じゃないですか! 昨日の夜、家中のカレンダーをめくっていたらなんだかうきうきしちゃって、それで今日は早起きしたんです」
「カレンダー……。そういうものですか。暦の切り替わりが喜ばしい、と?」
「うーん、そうですね、それもあるんですけど、でもやっぱり十二月は特別というか。クリスマスとか年越しとか、イベントがいっぱいですし! 今年一年頑張ってきたなあ、とか、来年はどんな年になるかなあ、とか、そういういろいろなものが合わさって、特別なんです!」
「イベントごとが多いというのは同意しますね。アイドルとしても経営者としても稼ぎ時です。年末にはボーナスを出す企業が多いですから、消費者の財布の紐も緩みやすい」
けれど多分、が言いたいのはそういうことではないのだろう。実感はわかないものの、自分の知らない手触りの話だ、ということは理解する。人の心の機微のようなもの、思い出とかそういう類いの話だ。茨の過去にはいくら振り返っても見つけられない、そういう手触りの話。
「あ、確かに! 私も今月はいろいろと欲しいものがいっぱいで……。七種さんは会社の社長さんでもあるんですもんね、クリスマス商戦とか、きっと大事ですよね!」
「ええ、まあ。さんがそういった方面にも造詣が深いとは、意外ですね」
「七種さんのお話を聞いていて少し覚えただけですよ! いつも以上にお忙しそうで、大変だなあって、それくらいしかわかってませんから……」
きまりが悪そうにはにかむに、茨はここぞとばかりに笑みを作った。が恥じる必要はどこにもないし、下手に興味を持たれても厄介だ。己の本分は弁えてもらわねば、それこそ困ってしまう。
「いやいや、十分ですよ! 自分の苦労を知る人がいるというだけで頑張れるもの。さんの労いがあれば今月の怒濤の日々も乗り越えていける気がします」
「そっっ、そうですか!? 私が七種さんのお役に立てるなら、もう、いっぱいいっぱい労いますっっ!!」
「それは頼もしい。ですが自分を労うよりファンの皆さんのために頑張ってください。自分にとってはそれがなによりありがたいですから」
「応援してくださっている方々がいるから、私たちがいるんですもんね。……贈り物を届ける気持ちで、精一杯頑張ります!!」
お手本にしたいくらいのよいお返事だ。いい子の見本のような彼女には、サンタよりもプレゼントを待つ子どものほうがずっと似合うのだろう。
「期待していますよ、さん」
「はいっ! 敬礼~☆」
嬉しそうに破顔するさまは、まるでとびきりのプレゼントを得た子どものようだった。茨の些細な言葉ひとつが、彼女には値千金の贈り物になるのだからなんとも安上がりなことだ。踊るようにエレベーターを降り、事務所へ続く廊下を歩いて行くに続きながら、茨はそっと笑みを浮かべた。
Up:2023.12.02
お題 : 推しアドベントカレンダー/01.カレンダー
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