腐海を泳ぐ

 情報屋を本業としていただけあって、様々な分野における知識量はヴァリアー随一と言える。頭の切れも悪くはなく、洞察力や思考力、推理力では、作戦隊長であるスクアーロに次ぐ。戦闘能力においてはXANXUS自らスカウトするほど。見た目に関しても取り立てて文句の付け所はない。

 しかし、彼女には大きな欠点がある。
 それはあまりにヴァリアー幹部らしいと言えた、しかし大変な欠点であった。






「う゛お゛おい! !」
 がなるような声をあげて扉を開け放ったスクアーロに、部屋の主であるは扉に背を向けたままだった。回転椅子の上に両膝を立てて座り、パソコンの画面をひたすら見つめている。時折キーボードに何かしら打ち込み、机に広げられた書類をぺらぺら捲ったり転がった菓子を摘んで口に含んだり。頭にはごつめのヘッドホンがありシャカシャカと音が漏れていた。おそらくスクアーロの大声もこれにかき消されているのだろう。苛立ちに任せて壁を殴りつけたくなったが、壊れて費用を支払わされるのは自分だ。ぐっとこらえて、床に散らばるゴミを足で蹴り飛ばしながら奥の机に近づいていった。
 相変わらずの部屋の有様に、スクアーロは唸り声のようなものを漏らす。左手で乱暴に前髪をかき混ぜて俯くと、脱ぎ散らかした下着が目に入った。目を逸らして舌打ちをしたが、聞くものはいない。
 の自室はとても年頃の女の部屋とは思えなかった。ヴァリアー幹部としてそれなりに広い部屋があてがわれているにも関わらず、この部屋には足の踏み場が殆どない。食い散らかしたスナック菓子の袋、脱ぎ捨てた服、酒瓶、ペットボトル。しかし本だけは綺麗に壁際の本棚に仕舞われている。ベッドの上も不思議と綺麗だが、この部屋にしては、と言うだけで几帳面なスクアーロの部屋のベッドと比べれば酷く乱れていると言っていい。
 ヴァリアーアジトには住み込みのメイドが多く在中し、今朝もひとりのメイドがスクアーロの部屋から洗濯物を回収していった。綺麗好きとは言えないベルフェゴールの部屋ですらここまでの大惨事になることはない。なぜの部屋がこのようなゴミ屋敷に成り果てるかというと、それは彼女がメイドを部屋に入れることを良しとしないからだ。情報屋として今も動いているせいか、他人が部屋に入ることを酷く嫌う。入ってこられるのはボスであるXANXUSと、学生時代からの付き合いであるスクアーロくらいであった。人を入れないくせに自分ではまったく片づけようとしないため、数少ない入室を許可されたスクアーロが定期的に様子を見に来るのだが、ひと月ほど長期任務に出ていたためか、この惨事に慣れているスクアーロですら頭を抱えたくなるほどの有様であった。

 ぬちゃ、とブーツが何かを踏みつけた。柔らかく粘性のある感触に、スクアーロは嫌な予感がして顔を顰める。そっと足をあげると、ブーツの踵にまとわりつく薄緑の固まりが目に入った。数日前まではパンだったのだろう。かさりという音と共に一緒に付いてきた茶色の紙袋には、油染みで滲んではいるが、アジトの近くのベーカリーのロゴらしきものが印刷されていた。が好んで部下に買いに行かせることの多い店である。食いかけを袋に仕舞っていたら忘れてしまった、というところだろうか。
 渋面のままあたりを見回すと、使用済みらしきバスタオルが目に入った。片足のままバランスをとってタオルを拾い上げ、緑の物体を拭う。ねっちょりとタオルにへばりついたそれに、スクアーロの眉間の皺は一層深くなった。汚れた部分が外に出ないように丸めて、そっとソファー(と思われる塊)の上に置いた。たまには片づけろと定期的に電話を入れていたが、効果は無かったようだ。元からあまり期待はしていなかったが。
 机の周りは比較的ゴミも少ない。机から本棚と、机から寝室に向かう為の床ははゴミが寄せられて歩けるように道がつくられていた。必要最低限しかゴミを寄せていない。いや、寄せるんじゃなくて捨てろ。思わず口に出していたが、やはりには聞こえていないようだった。もう背後まで迫っているというのに気付かないのは暗殺者としてどうなんだと言いたいが、本職は情報屋だと返されるのがオチだろう。
 この部屋に入ってからもう何度目かになる溜息をこぼして、スクアーロはのヘッドホンに手を掛けた。



「いいからお前はそこら辺で大人しくしてろぉ!」
 どこから持って来たのか、日本の主婦も御用達、水回りの掃除から庭の手入れにまで大活躍のピンクのゴム手袋をきっちりはめたスクアーロは、てきぱきと床に転がるゴミをビニール袋につっこんでいった。起きたままの下着姿だったは、スクアーロの叫びに渋々といったかんじでワンピースを引っかけて、比較的綺麗なベッドの上に座っている。
 しばらくはぼんやりとスクアーロの動きを見つめていたが、飽きたのかごろりとベッドに横たわる。あ、と声を漏らして目を留めたのはサイドテーブル。乱雑に積み上げられたスナック菓子の袋を摘んで起きあがった。そして開封。ベッドの上でぼりぼりと食べ始めたに、スクアーロはぶちんと頭の血管を引きちぎった。
「俺が片付けてんのにゴミを増やすなぁ!!」
「だってお腹空くんだもん、しょうがないじゃない」
 指に付いたチーズの粉末を舐め取って、は口を尖らせた。もうすでに半分は空にしてしまったらしく、がさがさと袋を揺すって中身を寄せている。
「しょうがなくねぇ、さっきもお前食ってただろ!」
「常に食べてないと死ぬ!」
「嘘付け!」
 怒鳴りながらもゴミを回収していくスクアーロの手際の良さに、はスナック菓子を口に放りながら感心するように頷いた。
「それにしても何でそんな片付けうまいの? 主婦?」
「お前が片付けねぇからだろうが!」
「私だけのせいじゃないでしょ、だってヴァリアーでまた会ったときにはもうこんなだったじゃない。あ、もしかしてあれ? XANXUSが散らかすので慣れたとか?」
「わかってんなら聞くんじゃねぇ! 昼飯抜きにするぞぉ!」
 ぎらりと睨みつけたスクアーロに、はへらへらとした気の抜けた表情を一変させた。取り繕うような笑顔を浮かべて猫撫で声を出す。
「や、やだなぁスペルビ・スクアーロ、あんたそんな心の狭い男じゃあないでしょう?」
「お前みたいなどうしようもない女のために片付けして、おまけに飯まで作ってやる俺の心が狭いわけねぇだろう」
「そうそう、さすがはスペルビよね、私みたいな人間のために休みを割いて片付けに費やして、おいしいご飯まで作ってくれるんだもん、こんないい男なかなかいないわ」
「わかってんならそこで菓子食うのをやめろ!」
「やーよ、お腹空いちゃうって言ったでしょ」
「これから昼飯なんだ、我慢しろぉ!」
「できない!」
 いっそ胸を張って宣言するに、スクアーロはまた重く溜息を付いた。
 任務においては頼りになる幹部であるの、重大にして最大の欠点がこれである。
 ──暴食。
 彼女は人生のなかで、食べることにもっとも時間を割く。そしてそれ以外のことへの興味が極端に薄いのだ。だから部屋が散らかっていようが平気だし、食べ物さえあれば何時間だって仕事のためにパソコンに向かっていられる。しかし食欲さえ満たされていたら他のことはとことんどうでも良くなるらしく、自分の限界がとうに過ぎていることにも気付かない。そして突然ブレーカーが落ちるように眠り始める。自己管理能力は幼い子供と同じレベルだった。
 スナック菓子の袋を抱えたまま、はじっとこちらを見据えている。同い年であるはずなのにどこか幼く見えるのは、西洋人と東洋人の違いであろうか。行動もその印象に拍車をかけているのは明白ではあるが、真っ黒な瞳でこちらを見つめるは犬や猫といった愛玩動物のような雰囲気もある。やることはそんな可愛さなど微塵もないのだが。
 唸るように溜息をついて、スクアーロは目を閉じた。見た目に反したこの強かな女。厄介な彼女を言い負かす術を、スクアーロは一つしか持たない。
 の瞳をじっと見据え、スクアーロはその術を繰り出した。
「我慢するなら、昼飯はお前の好きなペスカトーレにしてやる!」
「ペスカトーレ!」
 その言葉に、は目を輝かせてベッドの上に立ち上がった。
 ペスカトーレ、漁師風とも言われるそれはトマトベースの魚介類のパスタだ。白ワイン風味のものもあるが、は酸味の効いたトマトベースのペスカトーレが大好きだった。普通はホールトマトを使うことが多いが、スクアーロがつくるペスカトーレは生トマトを使う。ざっくりと切られたトマトの食感と爽やかな酸味、それに絡む魚介のうまみ、海老やアサリ、ムール貝に烏賊。大きくちぎったバジルも彩り鮮やかで外せない。パスタは幅広のマファルディーネがお気に入りだ。端がフリルのようになっている見た目も可愛らしいし、ぷりぷりとした歯ごたえも好みである。
「パスタはマファルディーネね! 絶対よ!」
「あーあーわかった! わかったから大人しくしとけぇ!」
 まるで子供みたいにはしゃぐに、スクアーロはぞんざいに言葉を返した。は気にした様子もなくベッドを転げ回っている。
 マフィアがこうも簡単に言いくるめられていいのかと、呆れたような溜息をこぼしながらも、嬉しそうに笑うには少しだけ頬をゆるめて、スクアーロは片付けを続行した。ゴミは手持ちのビニール袋へ、服はメイドが回収に使っている大きな布製のかごへ。下着にぶち当たっても心を無にした。それだけで見るとぎょっとするが、いつも剥がしてるものだと思えばなんてことない、本来重要なのは下着の中身だ。そんなの散々見てきている関係である。……躊躇いに一瞬手が止まったり、眉間の皺が深くなったりするが、それくらいは大目に見てほしい。

 淡々と作業を進めていくおかげで、部屋はだいぶ見れるようになっていた。足の踏み場も無かった床も赤い絨毯が見えるし、散らばっていた食べカスもだいぶ片付いた。あとで机周りを片付けさせたら、メイドを呼んで仕上げをしてもらおう。それくらいならも渋々ではあるが許可を出すはずだ。
 ちらりと腕時計に目をやると、そろそろ十三時をまわるところだ。片付けを始めてから約三時間。ペスカトーレを作ってやると言ってからは 大人しくベッドで寝そべっているだが、あれから三十分は経った。の腹が騒ぎ出さないためにも、一度切り上げるべきだろうか。
 きゅっとビニール袋の口を縛り、扉の近くに置いた。ゴム手袋を外してその上に載せる。手にはゴムの臭いが移ってしまっていた。微かに顔を顰めながら、だいぶすっきりとした寝室に向かうと、ぐしゃぐしゃのシーツの上、は気持ちよさそうに寝息を立てていた。
「……たく」
 この部屋に入ったときも、はずっとパソコンに向かっていた。また限界を超えたのに気付いていなかったのかもしれない。通常に比べてどこかハイだったのは、そのせいか。
 一度寝入ってしまえばはなかなか起きない。きっと目が覚めるのは明日の朝だろうが、明後日までスクアーロは休みだ。ペスカトーレでもプッタネスカでもアラビアータでも、何でも好きなものを作ってやれる。
 ベッドに腰掛けると、ぎしりとスプリングが軋んだ。それでもなお幸せそうに眠りこけるに、スクアーロはそっと頭を撫でてやった。



Up:2017.06.17
material by SILHOUETTE DESIGN
- Back -