女装コンテストが開かれるらしい。来月の話だ。
 毎月二十七日は美男子の日だといって、眉難高校では美男子コンテストが開かれている。来月は趣向を変えて、女装コンテストにするのだそうだ。
 私の通う眉女高も毎月二十四日はミスコンがある。美女の日だからだ。そして五月は端午の節句があるからという理由で男装コンテストになる。だからあまり驚きはなかったし、むしろ眉難には今まで固定の女装コンテストがなかったことに意外さを感じるくらいだった。
「たとえ女装でも、下呂に負けるのはなんかムカつくんだよ!」
 知り合いのツテで購入したというLLサイズの眉女高の制服を持参した蔵王は、そう語気も荒く言い放った。家デートのついでに、女装のクオリティを私に確認してほしいのだと。
「ほら、お前って高校デビューしたじゃん? だから良いアドバイスもらえそうだと思って」
 中学生までの私は女の子らしさから程遠かった。兄弟と一緒くたに育てられたおかげで、振る舞いも男子のそれだったのだ。
 それが中学の卒業後からこつこつと小さな努力を重ねた甲斐あって、高二の春にはこの女好きの蔵王にナンパされるまでになったのである。私の変化を最も強く実感している蔵王が、私に助けを求めるのは自然だろう。……納得はするが、なんとなく釈然としないものもある。他に適任がいたら、その女の子に頼ったのだろうか。まあ蔵王ならそうするだろう。わかっていても、なんだかちょっと複雑だ。
「つーわけで、よろしく!」
 私の心境など露知らず、蔵王はにかっと笑った。断られることなんてちっとも考えていない顔だ。私ならなんでも許すと思ってるんだろうか。……実際その通りなので、頷くしかないのだけど。






「いや~俺、眉女高の制服も似合う!」
 白いワイシャツと赤いリボン、水色のプリーツスカート。
 姿見の前の蔵王は満足げに頷いた。スカートの裾をつまんではくるりと一回転すると、いろんな角度から自分の姿を確認している。
 元々可愛い顔立ちだし、髪も男にしては長さがあるので下ろしただけでも女の子らしく見えた。体格は少々たくましい気がするけれど、細身だから違和感も少ない。あとは所作をそれらしくすれば、もっと女の子に近付きそうだ。
「女子の制服も着こなすとか、さっすが俺!」
「良かったね」
「なあなあ、やっぱ髪もちょっといじったほうが良くね? 下ろしただけだと物足りないっつーか……」
「じゃあヘアピンとか差してみる? 結ぶよりも似合うんじゃないかな。あとは、メイクしてみるとか?」
「マジで!? メイク……メイクか……」
 蔵王はしばらく唸ってから、「女の気持ちを理解するのも、モテへの更なる一歩だよな……!」と悟りを開いたような表情で顔をあげた。相変わらず、こういう時の蔵王の発想は謎だ。

「ええと、じゃあ軽くやってみるから、じっとしててね」
「おう、任せた!」
 洗面所から拝借してきた母の拭き取り化粧水をコットンに染み込ませ、顔の中心から拭いていく。モテるためにはスキンケアも欠かせない! などと普段から言っているとおり、蔵王の肌はニキビひとつななかった。……私よりも綺麗なんじゃないだろうか。
 部活で疲れていると化粧水もろくにつけずに寝てしまう自分に比べて、毎日きっちりケアしている蔵王の方が綺麗な肌をキープしているのは当たり前といえば当たり前だ。……これからは、いくら眠くてもちゃんと最後までケアして寝よう。
「どうした? なんか難しい顔してね?」
「……なんでもないよ。人の化粧なんて普段しないから、ちょっと緊張してるだけ」
 女子力のなさを噛み締めていた、なんて口が裂けても言えない。それに慣れないことに緊張しているのも事実だ。
 メイクをするようになったのは高校に入ってからだし、たまの休日にする程度だ。そこそこ慣れてきたけれど、誰かに化粧するなんて初めてだった。
「なんかこっちまで緊張してくるんだけど」
「そうだね、ごめん」
「や、謝ることじゃねーけど。いきなり頼んだの俺だし。……てか、今塗ってるの何?」
「これは保湿クリーム。これから下地塗って、ファンデーション塗って、眉描いて、アイシャドウして、マスカラつけて、チーク塗って、口紅塗って、って感じ」
 蔵王は目元がはっきりしてるし、アイメイクはあまりしっかりしなくても良いんじゃないかと思う。制服に派手なメイクを合わせても浮くだろう。
「へー……軽くって言ってたけど、結構やること多いんだな」
「しっかりやる人はもっといろいろやるみたいだよ」
「マジで!? 女も大変なんだな……」
 さっき言っていたモテへの更なる一歩とやらを踏みしめたのだろうか。蔵王は神妙な顔で呟いた。

 喋りながらの方がかえって緊張がまぎれてくれるようで、メイクは順調に進んだ。ビューラーは少し手間取ったものの、蔵王にやり方を教えてみたら数回でコツを掴んでしまった。瞼を挟んでしまったり左右で具合が違ってしまったりと、慣れるまでかなり時間がかかった私とは大違いだ。……ほんとに自信なくしそう。今更だけど。
「なあ、次は?」
「あとは唇だけ。アイシャドウもチークもピンクにしたし、揃えたほうがいいかな?」
 ポーチから何色か取り出して、蔵王が選んだものをつけることにする。蔵王が選んだのはちょっと青みがかったピンクの口紅だ。
「自分でつけてみる?」
 蔵王が自分でやった方が綺麗に仕上がるのではないか。器用だし。そう思って渡してみたが、蔵王は首を振った。
「これで終わりなんだろ? せっかくだし最後までやってくんね?」
「いいの?」
「うん。にやってほしーの」
 改めてお願いされてしまうとちょっと照れくさいけど、任されたからには最後まで責任を持たなければ。
「えと、じゃあ、軽く口開いて」
「んー」
 片手を顎に添えて、軽く顔を上向かせる。蔵王は目を閉じると、言われたとおり唇を軽く開けた。唇まで手入れをしているのだろうか、綺麗な薄いピンク色で皮もむけていない。わざわざ口紅塗る必要あるんだろうか。リップ塗るくらいで良いんじゃないかな。
 というか、こうしてまじまじと蔵王の唇を見つめるなんて初めてのような気がする。キスするときはすぐに目を瞑ってしまうし。……。
 今更気付いたけど、なんだかすごく恥ずかしい状況じゃないか、これ。
 意識してしまうとなかなか平常心を取り戻せないもので、口紅待ちがキスを待っているようにすら見えてきてしまう。しかも今の蔵王は髪型とメイクのせいで、顔だけ見たら完全に女の子なのだ。
 昔後輩の女子に告白されたことはあったけど、女の子相手はまるでピンと来なかった。それなのに、女の子にしか見えない今の蔵王相手にどきどきしてしまうのはおかしいのではないか。いや、女の子に見えたとしても蔵王は蔵王なんだし、恋人相手に意識してしまうのは別におかしいことではないはず……。
「なぁ、まだぁ?」
「っ!……ごめん!」
 思わず口紅を取り落としそうになってしまった。危ない。キャップを開けていたから、下手したら服についてしまうところだった。口紅は落とすのが面倒だし、蔵王の制服に付いてしまったら大変だ。
 深呼吸して気持ちを落ち着ける。あとはこれを塗れば終わり。絵の具で何かの像にでも着色するとでも思えば良いのだ。よし。大丈夫。
 口紅を少し繰り出して、唇に滑らせていく。薄付きなので数回重ねてちょうど良いくらいだ。余計なことは考えない。考えない。
「できたよ。唇合わせて、んーぱって開いてみて」
「ん~っ、こう?」
「そうそう、そんな感じ」
 口紅をなじませる仕草を見ると、本当に女の子にしか見えなくなってくる。なんだか変な気分だ。
「これで全部終わり?」
「そうだよ。お疲れ様。鏡見てきたら?」
「おう! ありがと!」
 立ち上がって姿見の前に行く蔵王の後ろ姿は、スカートを履いていてもしっかり男子に見えた。そのことに、なぜかほっとする。
 姿見の前に立つと、蔵王はしばし固まってしまった。メイクがいまいちだったのだろうか。メイク道具を片付ける手を止めて様子を伺っていると、すぐにくるっとこちらを向いた。
「これ、ヤバくね? 俺……マジで美少女じゃん」
「……そう、だね。顔は完璧に」
 美少女にしか見えない顔だが、首から下の立ち姿はどう見ても男だ。そして発される声も男。さっきは男らしさの残る蔵王に安堵を覚えたものの、このちぐはぐっぷりを見るとどうにも「惜しい」という気になってしまう。あともう一息で完成するパズルを見るような感覚だ。
 やっぱり大事なのは仕草と話し方だろうか。母に厳しい指導を受けた日々が思い起こされる。……まあ、今もたまにピシャっとやられることはあるのだけど。
「あのさ、もうちょっと女の子らしく立ってみたら? 膝を寄せるというか、揃える感じで」
「膝?……こう?」
「あと、肘も体に寄せるようにしてみて」
「うーん、こんな感じ?」
 立ち方を変えてみれば、もうほとんど女の子だった。こちらが指示したわけでもないのに、蔵王は小首を傾げて指先で髪の毛をいじるというアドリブを見せている。いつも女ばかり見ているおかげだろうか、細かい動きに無駄なリアリティがあった。
「ちょ……っ、すごい、そういう子クラスにいる……っ!」
 どんどん精度があがってくるのを見ると、急に面白くなってきてしまった。笑いを噛み殺しながら言うと、蔵王は気分が乗ってきたのか話し方まで寄せてくる。
「え~! ちゃん何笑ってるのっ! ひどぉい!」
「それだめ……っ! あははっ!」
 声色も女の子らしく高くなっている。なんでこんなに女子の真似が上手いんだろう。元からそういう趣味があったのかと疑いそうになるくらいのハイクオリティだ。
「こうなったら、やっぱり下着もこだわるべきな気がしてきた! ちょっと着替えるね!」
「……はっっ!?」
 下着。今下着って言った?
「衣装選びに硫黄と買い物に行ったんだけど、その時に『下着はどうするんですか』って聞かれたの。『立は凝り性なところがありますから、下着もこだわるのではと思いまして』って。俺……じゃなかった、アタシ、期待には応えたいタイプでしょ? そう言われたら引き下がれないじゃん。だから買っといたんだけど、ちょっと着るのは勇気がなくて……でも、そんなのダメだよね、うん!」
 この短時間でほとんど女子口調をモノにしているようだ。蔵王は一人でうんうん納得すると、私に背を向けてワイシャツを脱ぎ始めた。
「こ、ここで着替えるの!?」
「パンツも履き替えるんだよ? さすがに廊下はヤバイでしょ。万が一ちゃんの家の人に見られたら出禁にされかねないもん」
 それもそうだった。今はメイクまでしているのだ、どんな誤解を招くかわかったものじゃない。眉難で教師をしている兄なら事情を察してくれるかもしれないが、父だったら最悪だ。今は両親も兄弟も出払っているけれど、帰宅時間の予定は聞いていない。とくに父はあまり連絡をよこさないので、いつふらっと帰ってくるかわからない。
「あ、タグ切ってなかった。ハサミ借りてもいーい?」
 蔵王が手にしているのは淡いピンク色のブラジャーだ。縁にレースがあしらわれ、谷間にはリボンがついている。ショーツもセットらしい。
「はい、これ使って」
「さんきゅ」
 やっぱりああいう、可愛い柄が好みなんだろうか。
 部活がある時は動きやすいスポーツブラをつけているけれど、蔵王と会う時は、私なりに可愛らしい下着を選ぶようにしている。初めてそういう行為に及んだ時に下着の話をした気がするけれど、蔵王の反応は正直よく覚えていない。あの時は自分もいっぱいいっぱいだったので、あちらの様子を伺う余裕がなかったのだ。
 参考までに聞いておこうか。でも彼女につけてほしいものと自分がつけようと思うものはまた別だろうか。
「ねえねえ、これどうやって留めたらいいの? 全然、届かない、んだけど……っ」
 声に顔をあげると、蔵王はブラジャーのホックで苦戦していた。体が固いのだろうか、ホックよりも随分下のところを指がかすめている。
「……ちょっと待って」
 彼氏が目の前で堂々とブラジャーをつけようとしている。女の子にしては広すぎる背中、しっかりした肩とそこに引っかかっている、細かいフリルの付いたブラ紐。
 普通に考えたら異様な光景なのに、いよいよ違和感を覚えなくなってきた。「女装の蔵王」という状態に慣れてきてしまったのかもしれない。それともバトルラヴァーズの衣装のインパクトに比べたらよほど現実的だからか。
 蔵王の女装衣装がうちの制服というのもよくなかった。人が着替えている最中に茶々を入れてホックを外してくる子、自力では後ろでホックを留められない子。体育の前後や部活の前後に目にする光景だ。……うん、すごく見慣れている。
「できたよ」
「ん、ありがと」
 蔵王の高い声も耳に馴染んできた。本当に女友達が着替えているような感覚だ。
 あとは自力で着替えられるだろうし、メイク道具の片付けに戻る。
「ねぇ、胸のとこすごい空いてる」
「そりゃあ何か詰めないと……ハンカチでも使う?」
「うーん、今日はいいや。パンツちょっとキツイけど、こっちは結構平気かなぁ」
 下も着替え終わったらしい。こちらもちょうど片付けが終わった。ベッド下の引き出しにメイクボックスをしまって、ついでにベッドに腰を下ろす。姿見の前に立っていた蔵王は、私が落ち着つくのを待っていたのか、すぐにこちらへやってきた。
「どう?」
 腰に手をあてて、こてんと首を傾げてみせる。ブラジャーで胸が膨らんで見えるおかげで、体のラインも女の子らしい。仕草も声色も完璧だ。違和感なんてどこにもない。妙な面白さすらわかなかった。
「本当に女の子に見えるよ」
ちゃん、それ本気で言ってる?……お世辞とかじゃなくて?」
「ほんとほんと」
 紛れもなく本心だ。そこらへんの女の子よりも相当可愛い。もともと顔立ちは可愛い寄りに整っているのだ、ここまで女装がしっくりくるのも当然だろう。
「そっかぁ……」
 しかし完璧な女装が完成したというのに、当の蔵王はなんだか浮かない顔だった。
「どうしたの?」
 私には完璧に見える女装。容姿には人一倍の自負とこだわりのある蔵王には、まだ気になる部分があるのだろうか? それとも、他に原因があるのか。
 こう歯切れの悪い蔵王もちょっと珍しい。そんなに言いにくいことなのかな。
 部屋に遊びに来た女友達にそうするように、自分の隣をぽんぽんと叩いて座るように促した。蔵王はスカートの裾を正して腰掛けると、甘えるように私の肩口へと頭を預ける。ヘアワックスを落とすのに髪を洗ったから、私がいつも使っているシャンプーと同じ匂いがする。さらさらと首筋に落ちてくる髪が少しくすぐったかった。
「ちょーっとさ、複雑かなって」
「なにが?」
 ここまでの仕上がりなら、下呂くんにも十分勝てるんじゃないだろうか。
 あちらも綺麗な顔立ちで線の細い雰囲気だ。強敵であることに違いはないけれど、始まる前から自信なさげにするなんてらしくない。
「だって……」
 ちらりとこちらを一瞥する蔵王は、すねたような怒ったような、どちらとも言えない表情を浮かべている。さっきまで楽しそうに女装してたというのに、急にどうしてしまったんだろう。一体何が蔵王の機嫌を損ねたのか、まるで見当がつかない。
「うん?」
 首を傾げて顔を覗き込む。と──体が押され、視界がくるりと反転した。正面には蔵王の顔。その後ろには天井が見える。……何が、起きた?
「彼女に『女の子みたい』って言われて、喜ぶ男なんかいねーだろ?」
「え、……えっ?」
 いつもの声、いつもの口調。もとに戻った、だけ。それなのに、いつもよりもずっと、心臓の音がうるさくなる。かぁっと顔に熱が集まっていった。頭が事態を飲み込む前に、体はこれまでに蓄積された経験を元に正しい反応を返している。
 押し倒されたのだと、思考が追いつく頃には、私の体はしっかりベッドに縫い付けられていた。
「俺が女装も似合っちゃうのはしょうがねーけど、お前に男として意識されなくなるのは問題かなーって思うわけ。着替え始めたあたりから、ほとんど意識してなかっただろ?」
「う、うん」
「でもメイクしてる時は、ちゃんと意識してたよな? だって、」
 言いながら、蔵王はわざとらしくちゅっと音を立てて唇を重ねた。口紅のせいでいつもと感触が違う。使い慣れた化粧品のあまい匂いが、蔵王からしている。
「これ、塗る時はドキドキしてたろ?」
「ん……っ!」
 是とも否とも答える間もなく、再び唇を押し付けてきた。角度を変えて何度も唇を擦り合わせるようにキスをする。右手は繋いだまま、もう片方の手が髪を撫でた。
 こっちは混乱するばかりで息継ぎもままならないのに、唇が重なる可愛らしい音が鼓膜を揺すぶるたび、音にすべてが塗りつぶされていくようだった。キスをしている、それ以外のことがどうでも良くなっていく。お互いの体温はすっかり混じり合って、あとは吐き出す息の熱さばかり感じている。
 長い長いキスのあとで、蔵王はいくらか色の薄くなった唇を緩めて微笑んだ。
「お前にも移っちゃった。おそろいだな」
「な……」
 なんてこと、言ってくれるんだ。この口紅を見るたび、使うたびに今日のことを思い出してしまうじゃないか。きっとしばらく忘れられはしないだろう。
「次のデートの時は、これつけてきてよ」
 私の唇の際をゆっくりと指でなぞりながら、まるで見透かしたようなことを言い出す。忘れられない、いや、忘れさせないとでも言いたげに。
「なあ、いいだろ?」
 ぱちり、得意のウインクも今の蔵王がすると、いつもとは違った妙な色気があった。可愛らしい女の子の顔。けれどその言動は、可愛いなんて言葉ではすまされないほど心臓に悪い。
 そしてやっぱりこの人は、私が断ることなんて考えてもいない顔で笑うのだ。

 熱に浮かされたような甘い声が私の名を紡ぐ。ぞくりと鼓膜を揺らした。声と同じ色の瞳が私を見下ろし、返事を促すように指が唇の近くを撫でた。
 最初から答えは決まっていたようなものだった。ここでどう答えたとしても、次のデートの日の朝、私はあの口紅を手に取るのだ。
 今日、蔵王の唇に滑らせたことを思い出しながら。それを私の唇に返されたことを思い出しながら。



チェリーピンクのくちびる

チェリーピンク
のくちびる




Up:2017.07.20
material by さくらマテリアル
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