次のキャミソールは、上から脱がせたほうが良いのか、下に捲ってしまったほうがいいのだろうか。迷っているとから控えめな声が届いた。
「あんまり、見られると……その、恥ずかしい」
「……悪い」
緊張のせいか喉が乾いてしまって、声が掠れた。ごくりと喉を鳴らして、これじゃあまるで、食べ物を前にした空腹の獣みたいだと内心で自嘲した。状況としてはあまり差はないのかもしれないけど、自分の余裕のなさを突きつけられるようで、なんだか恥ずかしい。もう少し、上手にできると思っていた。“上手に”、その完成形を知っているわけでもないのに、なんでそう思えていたんだろう。
キャミソールの肩紐に手をかける。一緒にブラの紐も掴みそうになりながら、肘のあたりまで下ろした。胸に引っかかっている布を剥がしてやると、がさっきのシャツの時のように紐の輪から腕を抜いた。これで二枚目。
やっと、最後だ。といっても上半身の話であって、下はまだ残っている。でも、やっと、という感覚はどうしても湧いてくる。このやっとには、今日だけの感慨ではなくて、もっと前の、きっとのことが好きだと気付いた時からのすべてが詰まっていた。こいつを好きになって、こいつにも俺を好きになってほしくて。一番に、いや、唯一になりたいと願って。他のやつらには絶対に見せないようなを、俺が見る権利を手に入れて。ああ、やっと。
太腿の上でかすかに震えているの手に、俺の手を重ねた。「大丈夫だよ」と応えるの声も、少しだけ掠れている。
「無理、してないか?」
「してないよ。きんちょう、してるだけ」
「……そう、だよな」
こんな時に言葉って、なんて無力なんだろう。たくさん思っていることがあって、伝えたくて、それなのに、何を口にするのも今は違う気がする。代わりにぎゅっと手を握った。もう一方の手で頬を撫でると、くすぐったそうに瞬きをして、それからじっと俺を見上げる。のその瞳の中に、俺だけが映っている。
ずっと見ていたいけれど、見ているだけではもったいない気もして。俺が二人いたら良いのに、そしたらキスしながら、こいつがどんな顔をしているのかずっと見ていられる。でも俺が二人いたら、どっちの俺も同じタイミングでに触れたがるだろう。二人の俺が一緒に甘えてきたら、はどうするだろう。
どっちの俺も俺だから、どっちの俺も好きになって大事にして欲しい。でも俺はわがままだから、きっと俺だけを見ていて欲しいと思うだろう。そんなことになったらも二人必要で、でも、がもう一人いたら、やっぱりそっちのも欲しくなる。これじゃあ際限がなくなってしまう。俺もも、一人ずつだからきっと良い。
握っていた手を解いて腰に回す。親指の腹でそっと唇を撫でると、はゆるゆるとまぶたを下ろした。キスする時は目を閉じるものだって、俺が教えたからだ。がキスを待つ時の、この瞬間が好きだ。視界が覆われている分、他の感覚で俺のぜんぶを感じ取ろうとしているのが、すごく好き。
キスは、もっと好きだ。唇を重ねるだけのキスも好きだし、もっと深いキスも好き。繰り返すうち、お互いの温度が溶け合っていく感覚が好き。小さく漏れる息も、艶めいていく声も、くたりと俺に体を預けるところも、蕩けた瞳で俺をぼんやり見上げるのも。いつだって強さを追い求めて、いつも強くあろうとするが、俺の前ではこんなにも無防備で。
「りゅう」
こんなに甘い声で、が名前を呼ぶのは、世界中で俺だけだ。俺の名前だけ。それがたまらなく幸せで。
腰に回していた手のひらで、するすると背中を撫であげる。「ん、」とが吐息を漏らした。それを塞ぐようにまた唇を寄せて、指先はブラの金具部分を探す。確か、フックみたいな形で引っかかっているんだった。指先で数えたら、二つついている。布を摘んでずらそうとするけど、うまくいかない。今度は方向を変えてみる。布は繋がったまま、外れる気配を見せない。おかしいな、どうなってるんだろう。やっぱりキスしながら外すのは、難易度が高かっただろうか。
「外せない?」
いつの間にか、キスが疎かになっていたらしい。が「大丈夫」と笑う。こんなはずじゃ、なかったんだけど。
もっと上手にできると思っていた。いつだって余裕がないのはの方だったのに、今だけは俺の方が余裕がない。が腕を背中に回す。指先が俺の指に重なった。かと思えば、金具が外れたらしい。いったい何が起こったんだ。
「あの、ごめん」
「何が?」
「だって、俺が脱がせるって言ったのにさ」
それになんだか、ちょっとカッコ悪い。はこれくらいで幻滅しないだろうけど、それでも。
「いいよ、全然。それに、慣れてないみたいで、ちょっとほっとした」
「ほっとした?」
「デートの時もさ、私ばっかり、ドキドキしてるのかなって、思ったりしてて。こういうことするの、立も初めてだって言ってたけどさ……本当は、慣れてるんじゃないかなって。私ばっかり緊張してたら、なんか、寂しいから」
一緒にドキドキできるの、なんか嬉しい。そんなふうに笑うのは、ずるいと思う。
「カッコ悪いって、思わねえの」
多分、ひとかけらも思ってないんだろうな。わかってて聞くから、俺だってずるいんだけど。は予想したとおり、何が? って首を傾げている。
「わかんねーなら、いい」
どこにカッコつけたかったか、なんて、説明したらもっとカッコ悪い。誤魔化すみたいに額にキスして、肩に引っかかったままのブラ紐をするりと落とす。うすいピンク色。紐の付け根には小さいリボンがついていて、胸の部分は細かいレースがあしらわれている。さすがに女の子の下着事情には詳しくないけれど、多分、可愛いデザインだと思う。
「なんか意外かも、お前がそういうのつけてるの」
生活の基礎に空手が食い込んでいるようなだから、下着も運動向きのものだと思っていた。前にそういう話をしたこともあったし。
「そう、かな……」
歯切れの悪いに、まずいことを言ったかもしれないとすぐさま後悔した。男らしいとか、女らしいとか、はそういうことに敏感なのだった。悪い意味で言ったわけではない。というか、良い悪いじゃなくて。ただ、思った通り口にしただけで。
そうやって思ったまま口にしてしまうのが自分の欠点の一つだと、理解してはいるのだけど。
「意外って、別に変な意味じゃなくてさ、ほんと、そのままの意味で。私服の雰囲気とちょっと違うし。お前がそういうの好きなら、俺も覚えておこうかなって、それだけ」
別にの下着を俺が買う予定は微塵もない。ただ、可愛いものも好きという情報は他のことにも応用できるはずだ。ただそれだけだ。これも言っといたほうが良いか、逆に言う方がわざとらしい感じがするだろうか。逡巡してる間にのほうが口を開いた。
「可愛いのは、好き、だけど。それだけじゃなくて……。こういう、下着の方が、立が、嬉しいかなって。立に会うときは、その……可愛いの、選んで、る」
元々真っ赤だった顔がさらに赤くなる。たとえとしては月並みだけど、今のはまさにゆでダコみたいだった。顔を見られるのが恥ずかしいようで、俺の胸元に顔を埋めてぎゅっと抱きついてくる。先程下着を外したせいで、の胸が俺のシャツ1枚隔てたところで押しつぶされているのがわかる。鍛えられたの体は全体的に引き締まっているので、胸の柔らかさが際立って感じられた。こういうのなんて言えば良いんだろう。可愛いの暴力かな。暴力という言葉でも生ぬるい。
「お前さあ……」
言葉は無力だ。少なくとも、俺のもつ言葉は無力だった。言いたいことがいっぱいあるのに、出てきたのはたったそれだけ。の言葉は凶器のように俺の理性をぐずぐずにしてしまうくせに、俺は何も言えない。
だから言葉の代わりに、ぎゅうっと抱きしめ返す。
今日だけで俺の心臓はあと何回押し潰されることになるんだろう。今まで余裕ぶっていた報いが、ここで一気に襲ってくるのだろうか。本当は俺だって、ドキドキしてたよ。お前といるときは、いつも。って、今更言ってももう遅いのかな。
思わぬ大きな反撃にくらくらしながら、未だ羞恥に震えているの頭にキスを落とした。どうにかなってしまいそうなこの気持ちのひとかけらでも、こいつに伝わってくれと願いながら。
リボンをほどく指先
リボンをほどく指先
Up:2016.10.27
Title:2017.11.10
Title:2017.11.10
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