──行きたいカフェがあるんだけど、付き合ってくれない?
 そんな電話を受けて、夏休み最後の日曜は久しぶりに二人で出掛けることになった。
 夏の終わりと言ってもまだまだ蒸し暑く、晴天の今日は日傘なしでは干からびてしまう。私の白い日傘に二人で入って、玲央の案内するままに緩い坂道を降りていく。日差しとともに蝉の鳴き声が降り注いでいた。街路樹の根元に転がった空蝉を、麦わら帽を被った小学生たちが真剣な顔で拾い集めている。
「私も子供の頃はよくやったわ」
 そう懐かしそうに語る玲央に思わず目を向けると、「意外って顔してるわね」と笑われてしまった。
「だって、ほんとに意外だもん」
「昔はちょっと腕白だったのよ」
 艶やかに微笑む姿からは、そんな子供時代は全く想像がつかない。クラスの中で、誰よりも女性らしいのが玲央だ。大口を開けて笑う子を窘め、乱れた言葉遣いに眉を寄せ、箸の持ち方にうるさく小言を漏らす。女性的というよりはお母さんみたい、という感覚のほうが近いかもしれない。
 でも、そういった教養が行き届いている玲央は素直に尊敬するし、私はそんな彼が好きだった。






 大通りから細い路地へ折れて、込み入った道を進んでいく。玲央自身も人伝てに聞いただけというそのカフェは、街の喧騒から少し外れた裏通りにひっそりと店を構えていた。全体的にちょっと古めかしい雰囲気の店構えだけど、道に面した小窓は綺麗に磨かれている。店内を覗くと、休日のわりに席も疎らだった。
「あら、あんまり人気ないみたいね。大丈夫かしら」
「隠れ家的で面白いじゃない。とりあえず入ってみようよ」
 少しわくわくしながら日傘を畳み、玲央を見上げる。
 こういうお店は雰囲気が大事だ。ご飯もおいしかったら儲けもの。ちょっと残念でも、カフェの雰囲気を堪能した分だと思えば代金も惜しくない。それに今はとにかく涼を取りたい、というのも確かな本音だ。
「こういうの好きだもんね、芽衣子って」
「うん、大好き」
「あんたが良いならいいわ」
 暗い色合いの木製の扉を押すと、ドアベルが涼しげに音をたてる。いらっしゃいませ、店の奥から明るい声が聞こえた。エアコンに冷やされた空気が、外の熱気に火照った体を癒していく。
 あまりきょろきょろするのも格好が悪いので、視線だけで店内の様子をうかがう。落ち着いた色合いで纏められた調度品や小さく流れている音楽、清楚なデザインの制服を身につけたウェイトレスも、私好みだ。
「いい感じのお店だね」
「ええ。入って正解だったわね」
 答える玲央の表情はどこか得意げだ。入るまでは不安そうにしていたのが嘘みたいだ。
 私は隠れて小さく笑った。

 窓際の席に通されて、メニューをぱらぱらと捲る。ランチメニューからお酒まで幅広だが、ここの売りはケーキらしい。カラー写真とともに細かく書かれた説明に目を通す。
「どれが良さそう?」
 問いかけながら身を乗り出して、玲央はテーブルに頬杖をついた。顔にかかった黒髪を耳にかけて、メニューに視線を落とす。見目麗しい彼はそんな姿も艶やかだ。美人は三日で飽きると言うけれど、私はいつになっても慣れそうにない。
「全部おいしそうで迷っちゃう」
「まったくもう……」
 呆れたような声でも、私を見つめる瞳は優しい。それだけで心臓がうるさく音を立てた。本当に、いつまでたっても、慣れない。
「ゆっくり選んでいいわよ。時間はたっぷりあるんだから」
「うん。ありがと」
 メニューの影で、静かに息を吐く。
 どきどきと胸を高鳴らせる度に、罪悪感に似た感情が膨らんだ。私たちは友達なのに。友達なのに。



 散々迷った挙句、店員に勧められるままケーキセットを二つ頼んだ。先に出されたお冷で喉を潤し、ようやく一息ついた気分だ。日焼け止め落ちちゃってるかも。私が零すと、玲央も自分の頬に手を添えて顔をしかめた。
「お店出る前に直さないといけないわね。そういえば日焼け止め変えたって言ってたけど、使い心地どう?」
「ベタつかなくて私は好みかな。あとで試してみる?」
「そうね、お願い」
 そこからメイクの話に流れて、クラスメイトの話に飛んで、ひとしきり盛り上がったところでケーキが運ばれてきた。紅茶のポットと、氷の入ったグラスも一緒にテーブルに並んだ。
 私の頼んだチョコレートケーキは、何層にも重なったスポンジとチョコクリームに、ココアパウダーがかけられている。絞り出したチョコクリームの上にはラズベリーが飾られていた。その上からパウダーシュガーがうっすらと振りかけられている。玲央が頼んだのはフルーツタルトで、苺にブルーベリー、キウイや桃、みかんなど盛り沢山だ。柔らかな店内の照明に照らされてつやつやと輝いている。フルーツタルトもよかったかも、なんて今更になって思ってしまった。
「うーん、おいしそう……」
 どこから食べようか、ラズベリーは最後に残そうか最初に食べてしまおうか、ぐるぐると巡らせながら思わず呟くと、笑い混じりの同意が目の前から返ってきた。
「どうして笑うの」
「小さな子供みたいに瞳きらきらさせて言うもんだから、おかしくって」
「どうせなら純粋って言ってよね」
「はいはい」
 あしらうような声に少しむっとすると、「一口あげるから、むくれないでよ」と宥めるように言われた。完全に子供扱いだ。同い年なのに。
 向こうが私よりも大人びていることは覆しようのない事実だけど、なんだか悔しい。これだから子供扱いなんだって、わかってるけど。
「むくれてないし、いらない」
 ふいっと目を逸らして、ケーキフィルムの端を摘んだ。ゆっくりと剥がし、軽く畳んで皿の端に寄せる。爪の先に付いてしまったクリームを舐め取ると、ほんのりとチョコレートの苦味が広がった。
「あら、本当にいらないの?」
 私の返答なんて予想通りだとでも言いたげな、少し意地悪な声。からかうような笑みを浮かべているに違いなかった。悔しくって意地を張りたくなる。ああけれど、きっとすぐに折れちゃうんだ、私。
「……」
「ねーえ、聞いてるのかしら?」
「……」
?」
「……やっぱり、欲しい」
 あっさり発言を覆した私に、玲央は小さく吹き出した。ああもう、悔しい。絶対に子供っぽいって思われてる。
ったら素直じゃないわねえ」
「どうせ可愛くないですよー」
「そうは言ってないでしょう?」
「ほんと?」
「本当よ」
 すぐに卑屈になるのはあんたの悪い癖ね。フィルムをフォークで器用に剥がしながら、さらりと笑う。また心臓が高鳴って、誤魔化すように「私のも一口あげるね」と笑った。






「それで、征ちゃんったら酷いのよ」
 長い睫毛を伏せて溜息を吐く。前髪が落とす陰影と憂いを帯びた表情は、絵になっていた。相槌を打ちながらもその姿に魅入ってしまう。長い指先がテーブルのナプキンをつついたり髪の先を弄るのを見つめた。
 ケーキはどちらもおいしくて、二人ともあっという間に平らげてしまった。それからは残っているアイスティーで少しずつ喉を潤しながらお喋りを続けている。溶けた氷と紅茶で、グラスはうっすらとグラデーションが出来ていた。ストローの先で氷を弄びながらかき混ぜる。からからと涼しげな音をBGMに、玲央の愚痴は続いた。年下の男の子に四苦八苦しているらしいが、声に滲む感情は決して悪いものではない。
「じゃあやめちゃえばいいじゃない」
「そういう問題じゃないわよ! それに、イヤってわけじゃないの」
 慌てたような様子に小さく笑みをこぼすと、「もう、笑わないでよ!」と怒られてしまった。そんな姿がちょっと可愛くて、どうしてもいじめたくなってしまうのだ。それに、さっきの分のお返しでもある。私だってやられてばかりじゃない。
 玲央はむっと唇を尖らせながら「まったく」とかぶつぶつ漏らしている。形のいい爪で、唇をなぞっていた。柔らかそうな唇。彼に甘やかに名前を呼びかけられたら、どんな心地がするのだろう。
 じっと見つめてしまっていたことに気付いて、さりげなく視線を逸らした。
「わかってるって。それで?」
 勝手に抱いてしまった気まずさを隠すように続きを促すと、玲央はまた溜息を吐いて恨み言を再開させた。
 言葉とは裏腹に、玲央の表情は、きっと幸せに満ちていた。






「すっかり話し込んじゃったわね」
「もともとそのつもりでしょ?」
「それはそうだけど」
 カフェを後にして、昼間よりもいくらか温度の下がった街をゆっくりと歩いていた。
 久しぶりの休日はあっという間に終わっていく。次の休みはいつになるだろう。私と違ってこの人は忙しいから、また二人で出掛けられるのはしばらく先だろう。
「いつも私が喋ってばかりじゃない? たまにはの話も聞きたいわ」
「聞いて欲しいことはちゃんと言ってるから、気にしないでいいの」
 納得しきれていない様子の玲央に、話を変えようと手近のショーウィンドウを示してみる。少し露骨だったかな、と思ったけれど杞憂で終わったようだ。すっかり目を奪われている。
 目の前のショーウィンドウには、もう秋物のコートが飾られ始めていた。近々発売された雑誌を埋めているのも秋服だ。まだ夏も終わっていないのに、駆け足で季節が巡っていくようで、小さな寂しさを覚える。
「あのコート可愛いわね。あんたに似合いそうじゃない?」
「どれ?」
「ほら、右から二つ目の。前に着てた赤いワンピースあったでしょう、あれと合わせたらきっと素敵よ」
「ああ、あれね。そっかあ」
 玲央がそう言うなら、きっとそうなのだろう。服に興味がないわけではないけれど、センスがあるかと言われるとまったく自信がない。だからこうして、よく玲央にアドバイスを貰っている。
「次のお休みはお買い物にしましょうか。またあんたに似合うもの選んであげるわ。せっかく可愛いんだから、もっとおしゃれしないともったいないもの」
 玲央は惜しむような顔をして、並ぶマネキンを見つめている。
 せっかく可愛いんだから。その言葉に、それ以上の意味がないことを知っている。新しいリップやアクセサリーを褒めるような、ありふれた言葉だ。熱のこもらない言葉だ。
 わかっているのに、私の耳は「可愛い」という単語だけを拾って、浮かれてしまう。

 マネキンを見るフリをして、ショーウィンドウに映る私たちの姿を見つめる。
 すらりと背が高く、容姿も整った“彼”と、隣に並ぶ私。後ろを通り過ぎてゆく人々には、どう見えているのだろう。仲のいい友達だろうか、それとも。
 恋人同士に、見えていたら嬉しい。釣り合いが取れて見えていたら、嬉しい。
 私たちの関係は、そんな甘やかなものではないけれど。
「そろそろ行きましょうか」
「うん」
 頷いて後に続く。向かい風に舞い上がった彼の髪が、さらさらと揺れるのを目で追った。夕暮れの暗い橙に染まった黒髪が綺麗で、胸が苦しかった。美しいこの人の仕草のひとつひとつが、言葉のひとつひとつが、私の中に確かな熱を灯してゆくのに、きっとこの人が私の熱を受け取ることはない。
「ねえ玲央」
「なあに?」
 名前を呼べば振り向いてくれる、この距離を失いたくはない。
 たくさんいる女友達のなかでも、名前を呼び捨てしていいのは限られている。私はその限られた友人のなかでも、特別仲がいい。きっと女友達の中で一番。私が、一番。私が、一番、彼を。
「……また、行こうね。さっきのとこ」
 喉元まで出かかった言葉は、するりと無難なセリフに取って代わられてしまう。それでいい。告げたら、今のままではいられなくなってしまうから。
「もちろんよ。秋になったらケーキのメニューも変わるだろうし、楽しみね」
「私、カボチャのケーキが食べたいなあ。玲央は?」
「うーん、栗がいいわ」
「どっちもあるといいね」
「そうね」
 女友達。それは彼にとって、同性の友達と一緒だ。
 この人が好きになるのは、私たちじゃない。この人が恋をする相手は、きっと私たちじゃない。
 近いようで遠いこの距離が何よりも憎らしくて、何よりも愛おしい。
「ねえ玲央」
「なによ、また。どうしたの?」
「名前呼びたくなっただけ」
「変な子ねえ、あんた」
 柔らかく笑う、この表情が好き。誰よりも好き。

「なに?」
「あんたの真似よ」
「なぁにそれ」
 笑顔を返しながらも、内心は乱されてばかりで。彼に名前を呼ばれることは珍しくないのに、いつだってどきどきしてしょうがない。この人の口から紡がれると、聞きなれた名前ですら、きらきらと輝くから。
「ねえ玲央、大好きだよ」
「今度はなによ、“言いたくなっただけ”?」
「そうそう」
「私もよ、って返しておくべきかしら」
「その言い方じゃ、玲央は私のこと好きじゃないみたいだよ」
「馬鹿ね、そんなことないわ。ちゃんと好きよ」
 私の想いの十分の一だって、きっと彼には届いていないだろう。戯れのように吐き出した言葉じゃ、ちっとも彼を乱せやしないのに、私は懲りずに積み重ねていく。そうして彼からの軽い返しを、私は馬鹿みたいに大事に大事に取っておくのだ。
「だいすきだよ」
「はいはい」
 たくさんの大好きを積み重ねても私の熱は伝わらない。彼との間に築いたこの関係の先に、私の望む結末は待っていないだろう。それでも、今を失うよりは、ゼロになるよりは、小さな特別を握っていたい。
「私なんかに言ってないで、早いとこ新しい恋でもしなさいよ」
「しばらく恋はお休みなの」
「去年振られたの、まだ引きずってるわけ?」
「ううん、あの人はもういいの。ただ、気分じゃないだけ」

 玲央よりいいひとが見つかるまで、私の恋は永遠にお休みだ。
 きっと、しばらく私のお休みは明けない。



シュガーレス・ベリー




Up:2017.06.17
material by Weekend chewing gum
- Back -