無数の光が、照明の落とされたドームの中で波のようにゆらめいている。
 プリズムを通したような様々な色が、流れる音楽に合わせて揺蕩いきらめく。その景色の美しさに、観客席の後方、ひっそりとつくられた関係者席の一角で、はうっとりと息を吐いた。

 デビュー以来ソロユニットとして活動しているにとって、多色の光が波打つ様はいつ見ても得も言われぬ感動がある。暗闇の中で唯一光の集まる場所、ステージへと捧げられる色とりどりの小さな星たちは、ファンがアイドルへ捧げる愛だ。アイドルの瞳はその星を受けて、より一層輝きを増してゆく。歌声に乗せて光を返し、愛を返し、またファンの熱がペンライトを通してステージへ届く。無数の光を通して、愛はぐるぐると循環してゆく。
 このドームの中で愛を循環させているたくさんの人々は、ほんんどがお互いの名も顔も知らないままに集い、光の中心に立つアイドルに愛を捧げ、いつだって一度きりのライブを、愛の物語を紡いでいる。普段はまったく別の人生を歩む、まったくの他人同士が、アイドルという光で繋がっているのだ。
 ここは、運命の交わる場所だ。
 ライブ会場に身を置くたび、は常々そう感じていた。こうして観客席の後方から星々の瞬きを眺めるとき。ステージの上から、自分へ捧げられる愛を感じるとき。今この瞬間のために集まった人々が、ライブを終え、ゆるやかに自らの日常へ帰ってゆくときに。
 もうじき、宴は終わる。アンコールが鳴り止まない中、ステージに再び光が当たった。悲鳴に似た歓声の中、また衣装を替えたEdenが客席に手を振りながらステージに現れる。
「みんな、いっぱい僕たちを呼んでくれてありがとう! うんうん、まだまだ僕の輝きを浴び足りないよね、僕も歌い足りないっ!」
 照明に負けない笑みで手を振るのは、巴日和だ。彼の声に合わせて、黄緑色の光がそこかしこできらきらと揺れた。彼の笑顔に似た、明るく爽やかな光だ。
「みなさん元気なのはいいすけど、限界ってものもありますからねぇ~?」
「あれあれっ、ジュンくんたらもうへばってるね? まったく、なんのための筋肉なのか分からないねっ!」
「俺の体力の話はしてねぇんですけど」
 ジュンとの掛け合いに、黄緑と青、寒色系の光が漣のようにきらめいた。楽しげな歓声。二人の名を呼ぶ声。彼らが手を振って応えれば、声はさらに大きくなる。
「はいはい、名残惜しいのはみなさん同じ。ですが今日も遠方からはるばるお越しの方も大勢いらっしゃいます! ジュンが言いたいのはそういうことでしょう。帰るまでがライブ、ですからね!」
「ふふ。茨、なんだか先生みたいだね」
「自分が先生などと恐れ多いですな! 日々己の未熟さと学ぶべきことの多さを痛感してばかりおりますので!」
「茨は頑張り屋さんだね」
 茨と凪砂が会話に参加して、ゆらめく光の群れに赤と紫が加わる。Edenが導く美しい景色の完成形が、そこにあった。光が重なり合い、歓声が響き合い、ステージはフィナーレへ駆け上がってゆく。
「さあ、みんな。そろそろ時間だ」
 ひとくさりの会話が終わったところで、凪砂が客席へ振り向いた。その瞬間、ざわめきは潮が引けるように消えてゆく。皆がペンライトを握りしめて、凪砂の、自分たちの光の姿を注視していた。先程までリラックスした様子で会話していたメンバーたちも、体の隅々に緊張感を行き渡らせ、静かに自分たちの立ち位置につく。
「最後まで、私たちから目を逸らしてはいけないよ」
 華やかな微笑みとともに、凪砂がパチン、と指を鳴らす。瞬間、ステージ真上の照明が落ちた。スポットライトが背後から四人を照らし、彼らのシルエットを浮かび上がらせる。
 ラストソングが、始まった。

 Edenのライブが終わった後は、いつも陶然としてしまう。
 スタッフから観客が引けたと声が掛かって、はようやく立ち上がった。瞼の裏では、まだスポットライトを浴びて踊る彼らの姿がちかちかと瞬いている。まばゆい笑顔が、こちらを射貫く力強い眼差しが、煽るような手指の細かい動作が、まだの内側で続いていた。
 繰り返すごとに輪郭はぼやけていくのに、瞳に刺さった光はどんどん強さを増してゆくのが不思議だ。全身で浴びたきらめきが体の中で蓄積されて、瞳の中で乱反射しているような感覚にくらくらする。その酩酊感すらも心地が良い。もっと、ずっと、また、何度も。そう願うのをやめられなくなる。
 次第にが眼裏で繰り返すのは、スポットライトの中でが自分を――それがただの錯覚だと、頭では理解している――確かに見つめ、白い手袋に包まれた指が撃ち抜くように指差した瞬間だけになっていた。闇に朝焼けを一掬いしたような暗紅色の髪が、美しく澄み渡る海原のような縹色の瞳が、ずっとリフレインしている。強く訴えるような、柔らかに求めるような、相反する彼の微笑みがこびりついて、の鼓動をちっとも日常へ帰してくれない。
 気が付けば、舞台袖に入り込んでいた。ステージで輝く彼のことばかり考えていたからだろうか。ライブ後の荷造りを手伝うこともあったせいか、スタッフたちは誰もが入るのを咎めなかったようだ。
 ここまで来たのだし、なにか手伝って帰ろう。ライブの終わりをこうして体感すれば、興奮醒めやらぬの内側も次第に落ち着きを取り戻すことだろう。
 顔見知りのスタッフを探してあたりを見渡していると、「おや」という聞き馴染んだ声を耳が拾った。思わず振り向いた先で、――彼が、淡く輝いている。
さん、また手伝いに来てくれたんですか? まったく、もうそんな雑用に従事しなければならないキャリアでもないでしょうに。そういう初心忘れざる、という姿勢は自分も見習うべきとは思いますがね」
 男性にしては少々長めの髪をひとくくりにして、ライブTシャツの上にスタッフ用のジャンパーを羽織った茨は、そう言って苦笑した。ライブが終わってそう時間が経っていないはずだが、茨の顔はもうすっかりプロデューサーの顔になっている。
 そう。そのはず、なのだけれど。
「……さん?」
 どうにもぼんやりした様子のに、茨は訝しげに顔を覗き込む。薄いガラスの向こうから、縹色が真っ直ぐを見下ろした。
「っ!」
 瞬間、チカッと目の前でフラッシュが焚かれたような感覚がして、はびくりと肩を揺らした。今のは――今のは、なんだろう?
「どうしました、さん。ご気分でも優れませんか?」
 なにか答えなければと、頭は言葉を探しているのに、一言も口に降りてこない。どうしよう、なんで、焦りが余計に頭の中を白く霞ませていく。視界は相変わらずチカチカと瞬きをやめない。思考が、整理できない。
「……今回は、少々派手なライティングを多く取り入れましたから、そのせいかもしれませんね。すぐに車を手配します。自分の楽屋の隣が空き部屋ですから、そちらでお待ちください。鍵はお渡ししますので」
 はいともいいえとも告げぬうちに、茨はウエストバッグから取り出したカードをに握らせると、楽屋へ続く廊下へと押し出した。
「あ、あの、あのあのっ! 大丈夫です、お構いなく……っ!」
「お構いしますよ、嫌といわれてもね。貴女は大事な大事な弊社のアイドル! いわば宝物のような存在です! 明日からもスケジュールが詰まっていますからね。死ぬ気で休んで死ぬ気で回復してください」
 ようやく肩を押すのをやめた茨は、しかし駄目押しとばかりに再びの瞳をじっと見据えた。
「片付けの要員なら、いくらでも替えが利きます。しかし、『』、貴女に替えは存在しません。貴女のために時間を注ぎ、お金を注ぎ、力を注ぐものが大勢いることを、貴女もよくよくご存じでしょう、さん?」
 もちろん知っている。理解っている。
 だってそれは、自分を支えてくれるファンであり、スタッフであり、他でもない、あなたなのだから。
 ああ――そんな。
 一つの事実が、稲妻みたいにを撃った。
 目の前のこの人が、まぶしい。まぶしくてたまらない。彼はステージを降り、スポットライトはもう消えた。今の七種茨はアイドルではなく、プロデューサーとしての顔でを見据えているのに。なのに、ステージの上の輝きが消えないのは、――なぜ?
 答えは簡単で、単純で、ありふれていた。
 彼が輝いているのはアイドルだからでも、ステージにいるからでも、光を浴びているからでもない。にとって、たったひとりのひとだから。世界中のどこを探しても替えが利かない、たったひとり、自分の心のすべてを捧げたいと願うひとだから。
 この輝きはすべて、恋しさゆえ。
「はい――はい、すみませんでした。しっかり休んで、明日に備えますね。……お疲れのところ、かえって邪魔をしてしまって、本当に申し訳ありません」
 深々と頭をさげたのは、顔を隠してしまいたかったからだった。きっと泣き出しそうな顔を、見せるわけにはいかなかったからだった。
 この輝きが長く続かないことを、は知っている。気分がいつもより数センチ浮き上がったような歓びは、綿菓子のように儚く解けゆくものなのに。そして、その後に待つのは。
「ご理解いただけているようで、なにより。さあ、はやく楽屋で休んでください。万が一、体調に異変があればすぐに連絡を。それでは」
 踵を返し、茨が去って行く音を聞いて、はようやく顔をあげた。強く目をつむって、平常心の自分を呼び戻す。仮面を被るように、平常心の自分を「演じる」。
 ふう、と息を吐き出したところで、茨が足を止めて振り向いた。
「今日は、見に来てくださってありがとうございました。おやすみなさい」
 ニコリと目を細めて、茨は今度こそ自分の仕事に戻っていった。
「……~っ!」
 は思わずその場にしゃがみ込んだ。スタッフたちは舞台袖と搬入口を往復するばかりで、楽屋近くは人通りが少ないのがせめてもの救いだった。
 彼の言葉や笑顔が真実ばかりではないことを、むしろ真実は数えるばかりしかないことを、もう知っている。それでも、自分だけに向けられた言葉が嬉しい。微笑みが嬉しい。彼の中で一銭の価値にもならないものだと分かっていて、それでも大切に拾い集めて飾っておきたくなってしまう。
 先程呼び戻したはずの平常心は、木っ端微塵に砕け散って、しばらく修復できそうになかった。どうにか気力をかき集めて、は壁を支えにして立ち上がる。茨に渡されたカードキーを握りしめて、よろよろと指定の部屋へと歩き出した。
 どうか、どうか――この恋初めのきらめきが長く続きますように。そしてこのまま彗星のようにきらきらと散って、さっぱりと終わる恋でありますように。
 は縋る思いで祈った。祈りを聞き届けてくれるなら誰でも良い。だからどうか、私の目を開かないで。私の醜さを教えないで。彼に捧げる光には、いっさいの穢れが混じってはならないのだから。
 胸の底でじくじくと疼き出す痛みに、はちいさく顔をしかめる。芽生え始めたその痛みこそが、神の不在を告げていた。

その光にかれて
死んでしまいたい




Up:2020.12.19
photo by Aditya Chinchure on Unsplash
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