今日は、朝からひどく喉が渇いている。
 明け方は冷え込むことが多くなったし、日が暮れるのも早くなった。明日になればカレンダーをめくらねばならない、そうして十一月に切り替わる。もう冬の一歩手前である。
 空気が乾燥しているせいだろうか。咳払いをひとつして、雲雀は手元の書類を捲った。文章の捻れが多すぎて読むに耐えない。舌打ちとともに赤ペンでバツ印を記入する。そうして、左の不備の箱へ。
 気温の低下と空気の乾燥。それがもたらすのは風邪が流行と、欠席者の増加である。今は文化祭の準備の真っ只中であるから、普段は早く下校することの多い生徒も校内に居残りして作業している。疲れも溜まっているだろうし、文化祭明けは毎年欠席が多い。
 そんなもの、並盛の頂点に立つ彼からすれば「自己管理が足りない」の一言で切り捨てられてしまうのだが。

 喉が、渇く。ごくりと喉をならしても、どうにも粘膜が引つるような心地がした。不快感が拭えない。
 加湿器が教室に入るのは明日からだ。今日の清掃時間の最後に、教室の掃除当番が保健室に取りに行くことになっている。応接室も例外ではなく、今日中に運び込まれるはずである。おそらく今日の放課後にでも彼女が運んでくるだろう。
 十一月から二月にかけて、風邪の防止のために並中の全教室には加湿器が置かれる。ストーブが入るのは十二月から。それでも寒さが厳しい場合は、各自ブランケットの持ち込みが許されているが、使用しているのはほとんどが女子である。ブランケットの季節にはまだ早いが、あと一ヶ月もすればブランケットを腰に巻いてだらだらと廊下を歩く女子が増える。
 みっともない様だと、雲雀は思う。睨まれた途端にうるさい悲鳴を上げてばたばた逃げるのなら、初めからしなければいい。賢い小動物であればそのような愚行は犯さないが、やはり愚かな草食動物というのは一定数存在するのだ。ピラミッドの底辺に、彼らなりの生き方で。

 万年筆のインクを取り出そうとデスクの引き出しを開けると、銀色の包みがころりと転がった。登校の最中に彼女から渡された飴だ。はちみつレモンののど飴。むっと眉を寄せて、雲雀はそれを手にとった。銀紙をぺりぺりと剥がしていく。オレンジ色の艶やかな飴玉が顔を出した。ふわりとはちみつの香りがする。
 校則により、校内への菓子類の持ち込みは禁止されている。世の中で今日という日がどういったイベントとして認識されていようと、それは変わらない。「風紀委員長の前で菓子を取り出すなんていい度胸だね」雲雀が言うと、彼女は「じゃあ没収したらいいわ」と笑って学ランのポケットに突っ込んだ。
『違反物は風紀委員長が没収するんでしょ? だからその飴は委員長が好きにして』
 いけしゃあしゃあと言ってのける彼女には、雲雀も黙るしかなかった。没収されたくせに彼女の方が満足そうな顔をしているのは気に食わないものの、突き返せば違反を見逃すことになる。なんだかしてやられた気持ちになって、同時に彼女の気遣いがくすぐったくて、至極不機嫌な顔で登校したのが今朝のことだった。
「……」
 今朝と同じ顔でしばらく睨みつけて、雲雀はそれを口に放り込んだ。ころころと転がすと、甘ったるい蜂蜜の味が広がる。こんなものを好んで買うなど雲雀には理解できないが、彼女は普段から甘ったるいものが好きだった。笹川の妹たちとケーキ屋巡りに行くこともあると言っていたし、前の誕生日には金品をねだることはせずに「一緒にケーキが食べたい」と言っただけだった。草壁たちが買ってくるお茶請けも、いつも嬉しそうに食べている。
 潰しかけた銀紙を開き、メーカーを確認する。……覚えていたら、まあ何か買ってみてあげよう。もし、覚えていたらだけど。
 言い訳めいたことを心の中でこぼして、今度こそ銀紙をぐしゃりと潰す。ゴミ箱に投げ入れて腕時計を確認した。放課後まで、あと三十分。






「ひばりくん、いる?」
 ドアの向こうから聞こえる声に、雲雀はふと顔をあげた。壁の時計は終業時刻を二十分ほど過ぎたところをさしており、校庭からは運動部の声が聞こえ始めている。思ったよりも来るのが遅かった。怪我人でも出たのだろうか、それともあのふざけた保険医に引き止められたか。「いるよ」と返して雲雀は再び書類に向き直る。いつもなら声を掛けずに勝手に入ってくるのに、珍しい。
「……どうしたの」
 一向に入ってくる様子のない彼女に、雲雀は溜息混じりに問うた。また報告書に間違いがある。漢字くらいまともに書けないのだろうか、うちの人間は。雲雀はもう一度溜息をついて報告書を左の箱に投げ込んだ。不備のある書類は全て下げてからもう一度提出させなおすのだ。ついでにこれを提出した人間は雲雀に咬み殺されることになる。
「両手が塞がってるの、だからドア開けて」
 その声に雲雀は溜息を吐きだした。いったい何をやっているんだか。使えない部下に加えてお前もかと、苛立ち混じりに立ち上がる。また喉が引きつれて、そういえばと加湿器の存在を思い出した。たしかに片手で持つにはいささか大きかったように思う。あれを抱えているなら無理もないだろう。
 適当に風紀の人間でも掴まえて運ばせたらいいのに、彼女は風紀の人間をあまり使おうとはしなかった。保健委員の人間であってもだ。雲雀と違って彼らを部下だとは思っていないのだろう。あくまで後輩でしかない。自分でできることであれば、彼女は自分でする。
 その保健委員の仕事だってなかば雲雀に押し付けられたようなものだが、二年目になる今年も彼女は真面目にこなしていた。その真面目さをあの保険医も見習ってくれればいいのだが、それは望めないだろう。早く別の保険医を雇いたいと雲雀は常々思っているが、赤ん坊に頼まれているのでそう無下にもできないのだ。
「はい」
「ありがと」
 からりとドアを開けてやると、予想通り加湿器を抱えたが立っていた。それを取り上げて踵を返す。デスク脇の棚の上に載せ、付属のボトルを取り外した。
「これ。あとお茶淹れて」
「うん」
 雲雀からボトルを受け取ると、は給湯室に消えていった。水を流す音が聞こえ始め、雲雀もデスクに戻った。
 未処理の箱に入った書類は残りわずかだったが、仕事としては終わりに近づいていなかった。風紀の人間は腕の立つ者は多いものの、書類作成になるとてんで駄目なのだ。彼らは字も下手だし小学生レベルの漢字をひらがなで書いてくるし、あげく日本語が崩壊しているものまでいる。唯一書類仕事も熟せるのが副委員長の草壁だが、彼だけですべてが回るわけではない。今月は文化祭直前ということもあって書類がいつもより多いため、雲雀も書類整理をしなくてはならなかった。ずっと机に向かっているせいで退屈極まりないのに、処理する書類が書類なので苛々は溜まる一方で。苛立ちを隠すことなく息を吐き出して、雲雀は乱暴に不備の書類を箱に投げ入れた。
「もうスイッチ入れる?」
 給湯室から戻ってきたは、ボトルを加湿器にセットし終えていた。コンセントの前にしゃがみ込みこちらを伺っている。ひとつ咳払いをして、雲雀は頷いた。相変わらず、喉の調子がおかしい。
「そういえば、今朝の飴だけど」
「没収品は返さないよ」
「わかってる。そうじゃなくて、あれ食べてみた?」
「ああ」
「喉の調子どう? 私、喉がおかしいときはいつもあれ舐めるの。よく効くんだ」
「ふうん」
 舐めているときは、確かに喉の不調は軽くなったように感じた。けれど、無くなってしまえば元通り、やはり喉の渇きは癒えなかった。引つれるような不快感。水を飲んでも軽減されない。とくに喉を酷使したという記憶はないし、風邪とも少し違う気がしていた。渇いている、という表現が、一番しっくりくるのだ。
「別に喉が痛いわけじゃないよ」
「そうなの?」
「うん。……渇いてる、気がするんだ」
「乾燥してるせいかな? もう十一月になるしね。最近朝も寒いし」
「寒いからって寝坊しないでよ」
「う……気をつけます……。あ、そろそろお湯が沸くみたい。緑茶と紅茶、どっちにする?」
「紅茶」
「わかった。すぐ入れてくるね」
 また給湯室に引っ込んでいくの背中を見つめて、雲雀はごくりと喉を鳴らした。
 喉が、渇いている。ひどく。



「はいったよ」
「ん」
 ソファーに腰を降ろしたに頷きを返して、雲雀は最後の書類に決裁の判を捺した。処理済みのカゴに入れてから、ぐるりと首をまわす。ばきりと骨が鳴る音が聞こえて、は小さく笑った。お疲れ様、と微笑むの正面に腰を降ろして、紅茶のカップを取る。ふわりと立ち上った香りは、の気に入りのものだった。
「新しいやつ?」
「うん。この前草壁くんにお願いしてたんだ。紅茶切れてたから、開けちゃった」
「そう」
 カップに満たされた液体に映り込む自分の顔を、雲雀はぼんやりと見返した。喉はひどい渇きを訴えているのに、この液体では自分の喉を潤してくれるようには思えなかった。空虚な暗い瞳が、あかいみずの上で揺れる。
「ひばりくん、どうかした?」
「いいや」
 いっぱいに広がる紅茶の香りを吸い込んで、そっと目を閉じた。どうかしている。喉が渇いているのだから、なにか飲めばそれで解消されるはずなのに。暖かな紅茶に口をつける。豊かに香る液体は、雲雀の喉をするりと通り抜けていった。
「そういえば、今日って何の日か知ってる?」
 やけに楽しそうな声に視線をあげると、期待感を瞳に浮かべたがにこにこと笑っていた。何が言いたのかは容易に察しがついたが、雲雀は知らないフリで「さあね」とそっけなく返した。の表情がさらに嬉しそうになって、わかりやすい反応に内心で少しだけ笑った。
「じゃあひばりくん、トリックオアトリート!」
「お菓子なら、給湯室の棚にクッキーが入ってるけど」
「それじゃいつもと一緒じゃない。ひばりくんから何かちょうだい」
「君から没収した飴しかないよ。悪戯したいなら相手してあげる。君なら暇潰しにはなるだろうしね」
「悪戯って戦うってこと? 一択なの?」
「それ以外に何かあるのかい?」
「……ううん。ひばりくんなら、そうだよね」
 がっかりしたように肩をすくめて、溜息。わかってたけどね、とぼやきながらは紅茶のカップに唇をつけた。ふうふうと息を吹きかけながら、じっとカップの中を覗き込んでいる。少しだけ吸い込んでからびくりと肩を揺らした。まだ熱かったらしい。
「本当に猫舌だね」
「箱入り娘って言いたいの? この前リボーンにも言われたよ」
「君の両親は過保護だっただろう。そのとおりじゃないの」
 紅茶を睨みつけるを尻目に、雲雀は優雅に紅茶を嗜んでいる。恨めしげな視線を感じてもどこ吹く風だ。飲めないんだからしょうがないじゃない。拗ねたようにこぼして、はまたふうふうと息を吹きかけた。
「別に悪いとは言ってない」
「そうだけど、熱いままのほうが美味しいものってあるじゃない? これからの季節ってそういうの増えるし」
「まあね」
「おでんだって肉まんだって、熱いほうがおいしいって言うでしょ。お鍋囲んでも、熱いからってのんびりしてたら食べられなくなっちゃうし、うどんとかラーメンはすぐに伸びちゃうし」
「大変だね」
「人ごとだと思って」
「人ごとだからね」
 口の端を吊り上げて、雲雀は小さく笑った。ひばりくんのいじわる、とはまた拗ねたようにつぶやく。いまさらでしょ、しれっと返す雲雀にはこくりと頷いた。昔から、だね。呟いて、も微笑んだ。
 空になったカップを置いて、雲雀はすっと足を組み替えた。ティーポットの中にはまだ紅茶が残っている。「飲む?」「うん」「じゃあ、」カップを口元から少し降ろして、が雲雀を見つめる。
「おかしちょうだい」
「まだそれ諦めてないの?」
「だってせっかくのハロウィンだし」
「何がどう“せっかく”なのかわからないんだけど」
「年に一回しかないんだよ?」
「お菓子なら年中食べてるでしょ。昨日だって太るかも、とかいいながらアップルパイ食べてたよね」
「午前中にしっかり動いたから平気!……だと思う」
「自信ないじゃないか」
 言葉に詰まったのを隠すように、は再びカップに口をつける。ようやく冷めてきたのか、少しずつではあるがこくりこくりと飲み始めた。が紅茶を嚥下する、それにあわせて静かに動く喉を、雲雀はじっと見つめた。
 さっきまで自分も飲んでいたはずなのに。忘れかけていた渇きが、また蘇る。
「さっきの書類って、あれで終わりだよね」
「そうだよ」
「じゃあ、今日は早く帰れる?」
「下校時刻のあとに校内の見回りしたら帰るつもりだけど。何かあるの」
「今日の夜、綱吉君の家でボンゴリアン・ハロウィンパーティーするんだって。ひばりくんも……」
「行くわけ無いでしょ」
「やっぱり?」
 すげなく却下されるが、はとくに堪えたふうもなく言葉を返した。
 断られることは最初からわかっていたようなものだ。頷くとは思っていない。
「群れに加わるつもりはないし、ボンゴレに入った覚えもないよ」
「仮装もするんだよ」
「僕がそんなことすると思うの」
「ううん」
「じゃあ最初から言わないでよ」
「だからって誘わないのもなんか感じ悪いでしょ?」
「僕はそう思わない」
 つん、とそっぽを向いて雲雀は腕を組んだ。リング争奪戦の後からボンゴレボンゴレと言われるが、雲雀としては所属した覚えは微塵もないのだ。ボンゴレと関わることで面白い敵に出会う機会は増えたが、彼らと一緒くたにされるのはごめんだった。馴れ合うつもりもない。
「私も仮装するんだよ。真っ黒のローブでね、魔女の仮装」
「へえ。裾踏んで転ばないといいけどね」
「そんなことしないよ!」
「どうだか」
「あと隼人は狼男で、山本くんはゾンビなんだ。それで笹川くんがフランケンシュタインなの」
「そう」
 まるで興味がないといいたげに返して、雲雀はポットに手を伸ばした。自分で注いで二杯目に口を付ける。少し冷めた紅茶は一杯目よりも苦く舌の上を滑る。渇いた喉に染み込むことなく、やはりすり抜けていった。ごくりと喉を鳴らす。ああまだ、渇いている。
「ひばりくんが仮装するなら、吸血鬼なんか似合いそうだな」
「僕はしない」
「もしもの話だよ、もしも」
「女子は“もしも”が好きだね」
「夢を見るほうが楽しいもの」
「現実を見ないと生きてはいけないよ」
「たまに見るくらいなら夢だっていいものよ、それに計画的に生きるのは悪いことじゃないわ」
「計画倒れにならないならね」
「今日のひばりくん、いつにも増していじわるだね」
「僕はいつもどおりだ」
 ふん、と鼻を鳴らして顔を背けると、が伺うように雲雀を見つめた。雲雀はのこの目が、あまり得意ではない。
「何か嫌なことでもあった?」
「……酷い書類に追われている以外は、なにも」
「手伝おうか」
「君に任せたらいくらか早く終わるだろうけど、それはその場しのぎでしかないよ。うちの人間ができるようにならないと困る」
 あかい液体を飲み下す。苦い紅茶はじりじりと喉を刺激した。前よりも渇きがひどくなったような気がして雲雀は顔をしかめる。まったく、なんだというんだ。ただの風邪なら一晩寝れば治るだろうけれど、そのわりには頭痛もないし寒気もしない。ただ喉の渇きがあるだけなのに、そのせいでどうにも気が立っている。の言ったとおり、いつもよりもキツく当たっている自覚は雲雀にもあった。なら許してくれるだろうという、甘えも。
「喧嘩に向き不向きがあるように、書類整理も向き不向きってあると思うよ」
「だろうね」
「風紀委員も事務担当とか募集したらいいんじゃない? お金も扱うし、会計とか書記とかさ」
「頭の回る人間は扱いを間違えると厄介なんだよ」
「そういうもの?」
「ああ。それに、小学生レベルの日本語が扱えないのはどうかと思わないかい?」
「それはさすがにないでしょ。……え、まさか報告書ってそんなにひどい?」
「日本に戻ってきたばかりの君の現国のテストより酷いね」
「そう……」
 言葉に詰まって、はごくりと紅茶を飲み込んだ。今でこそ定期テストではそれなりの成績に落ち着いているが、イタリアから戻ってきたばかりの頃は燦々たる結果だったのだ。話す分には問題ないように感じる日本語も、漢字の書き取りや文章の読解となるとまったくだめで、読み取りができないせいで他の教科にまで影響が出ていた。唯一成績がよかったのは数学だが、もともと数学は得意教科というわけでもないのでせいぜい平均をすこし上回った程度だった。
 その頃のより、さらに酷い。と違って生まれてからずっと日本にいるはずの風紀委員が、である。雲雀がこう苛立つのも無理ないかもしれないと、も表情を苦くした。
「イライラしちゃう時はさ、甘いものがいいって言うじゃない? 何か食べよ」
「僕に強請るのは飽きたのかい」
「疲れてるとこさらに疲れさせたら悪いもん。それに、ハロウィンは来年もあるわ」
 カップを置いて立ち上がる。給湯室に足を向けるを、雲雀は思わず引き止めた。腕を掴まれて、が振り返る。黒い髪が流れて、の白い喉を隠した。
 どくりと、雲雀の喉が疼いた。喉の渇きが一層強くなる。握ったの手首からとくとくと脈打つのを感じて、雲雀はさらに強く握り締めた。
「ひばりくん?」
 不思議そうに雲雀を見上げる、の黒い瞳の中。あかい液体に浮かんで揺れた、暗い瞳が雲雀を見つめ返していた。
 渇ききった、ひとみが。
「ねえ、
「なに?」
 軽く腕を引くと、は素直に爪先を雲雀へ向けた。そして引かれるままに、雲雀の膝の上にまたがるように座り込む。目を泳がせながらスカートの裾を直して、ちらりと雲雀に視線をやった。ほんのりと頬が赤く染まっている。撫でるように触れると、の頬はさらに赤く色付いた。
「どうしたの、ひばりくん」
 小さく囁いた、その唇を指先でそっとなぞった。赤く柔らかな唇。直ぐ下にはもっと鮮烈な赤が流れているのだと、そう考えるだけでたまらなくなる。が恥ずかしそうに身をよじって雲雀の指から逃れようとするのを、雲雀は視線だけで封じた。
「喉が、渇くんだよ」
 どこかうっとりと、うたうように告げる。唇を撫でていた指はするりと顎を伝い、しろくほそい首に絡みついた。軽く押し込むだけで脈打つのを感じる。雲雀の指先にの脈動があった。この薄い皮膚の下に、熱く流れるあかい液体がある。雲雀の喉がごくりと鳴った。
「君がくれた飴玉でも、君が淹れてくれた紅茶でも、だめなんだ」
 いま、ようやくわかった。ほとんど音にならない囁きを漏らして、雲雀はの首筋に唇を寄せる。ひばりくん、悲鳴のように名前を呼んで、は雲雀の学ランを掴み込んだ。捉えられていない右手で雲雀の胸を押し返す。それでも、雲雀は止めなかった。止まらなかった。
 赤い舌をちろりと出して、の首を舐める。びくりと身体を揺らして、が息を呑んだ。喉がはねる。ひばりくん、自分を呼ぶその響きを、雲雀は舌で感じていた。震える喉をしっとりと濡らして、雲雀は目を閉じる。
『ひばりくんが仮装するなら、──』
 ついさっきの言葉がふと蘇った。処女の血を求め闇を翔ける西洋の妖。鋭い牙を突き立て、人の生き血をすするという、夜の魔物。
「本当に、吸血鬼なのかもしれない」
 くすりと笑って、雲雀は口を開いた。鋭い歯を肌に当てると、またの身体が揺れる。肌の弾力を確かめるように甘噛みを繰り返す。
 そうして。
「ぃ、た……っ」
 ぎゅっと雲雀の腕を掴み、が短い悲鳴をあげた。眉を寄せ、下唇を噛んで痛みを堪えている。逃れようと身を捩るの体を、雲雀は強く抱き込んだ。腰と背に手を回して、さらに深く歯を突き立てる。じわじわと染み出る鉄の味を舐めて、啜って、ゆっくりと息を吐いた。
「もっとちょうだい」
 甘くもなければ、いい香りがするわけでもない。舌を転がる液体は、ただの血液でしかないのに。ひどい喉の渇きがたちどころに癒えていくのを、雲雀は感じていた。鼻腔に広がる血の匂いが心地いい。活きのいい獲物を咬み殺したときの興奮に似ているようで、けれど全く違うようで。ひたすらにの血ですべてを満たしてしまいたかった。
「もっと、もっと」
 柔らかい身体を抱きしめて、もう一度雲雀は首筋に顔を埋めた。






Up:2017.06.17
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